★ あ か く ろ 10 ★
陽子の入浴は滞りなく終わり、日付が変わる頃にはさっぱりしていた。
しかし、泰麒の入浴は汕子と傲濫と同じ手順を踏んだので、かなり時間がかかった。
長い時間をかけて熟成された泰麒の穢れは相当なものだった。
こちら(泰麒)も完全漂白とまではいかず、そばにいる使令たちが耐えられる程度の清めにとどまった。
(むしろ彼らをここまで清められたこと事態が凄いことなのだが)
はじめ「暗くて見えないから別にいいんじゃない?」と軽いことを言って男らしく衣服を脱ぎはじめた陽子を泰麒と冗祐が全力で止める、という波乱の一幕もあったが、概ね問題は無かった……はず。
「あの……陽子さん、もしかしてこれ……」
陽子に用意された衣服を着た泰麒は、身につけた物を訝しげに見ながら口を開いた。
こちらの着衣のことはよく分からない。分からないが何かこう、伝わってくる物がある。
言葉の意図をくみ取った陽子はあっけらかんと言葉を返した。
「ああ、そうだよ。それ、女物なんだ」
「……」
なんで!?と言いたげな瞳を向けられて、陽子はなおも口を開く。
「こちらの世界では要くんの髪型はおかしいんだ。こちらに来て少し髪が伸びたみたいだけど、結えるほどではないしね。いらぬ詮索を避けるために短髪のことは隠さなくてはいけない。そのためには女物の髪飾りを使う方が良いんだよ」
「そう……」
そう言われると嫌がることが出来ない、心優しい泰麒は沈黙した。
もともと何か理由はあるだろうと思っていたので、受け入れることは決めていたのだが。
陽子はさらに言葉を続ける。
「それに、私が男装するつもりだったから、連れの要くんには女装してもらうほうが都合がいいんだ。水申に子どもの姿をさせているのは、私たちが家族に見えるようにするためだからね」
「なるほど」
今度こそ泰麒は素直に納得した。
陽子が男装するのは剣を振るいやすい格好をするためであり、追跡者の目を眩ませるため。
後者の理由と同様に、泰麒が女装して鞘に子どもの姿をさせることで家族だと思わせる。
陽子の思惑はこうだった。
泰麒が頷くのを見て、陽子も頷いた。
「だから街に入ったら要くんのことを要(よう)って呼ぶね。私のことは陽子(ようし)と呼んでくれ」
「はい。分かったよ」
「水申のことは蒼猿(そうえん)とでも呼ぶか。お前、私以外に真名を呼ばれるのは嫌なんだろ?」
「……」
水申は不機嫌な顔でそっぽを向いた。
「そうだね。家族なのに父親と母親の呼び方が違ったらおかしいから」
水申の内心を読み取った陽子は苦笑し、泰麒は柔らかい笑みで頷いた。
「よし。それじゃあ街に入ったら私たちは家族だ! 力強い父親と心優しい母親、反抗期に差し掛かった息子、という心温まる設定でいいだろう」
泰麒は笑顔でうんうんと頷く。
水申は眉根を寄せたまま、あらぬ方向を見つめている。
「さて、これからの設定に満足してもらえたところで、今日はもう寝よう。色々あって疲れたからな」
「今夜はここで寝るの?」
「いや、近くの野木まで戻るよ。結界を長期間張り続けるのは環境に良くないし、安全面で言えば野木の下に勝るところはない」
「お前ぇがいりゃあ、どこも安全なんじゃねぇのかよ」
陽子は一瞬目を見開いたあと、すぐにいつもの表情に戻した。
内心では『水申が会話に入ってくるなんて!』と嬉しさでいっぱいだったが。
「……まぁ、それは否定しない。だが、結界を維持するのはさすがの私でも疲れるんだよ。二人を振り回して申し訳ないと思うが、楽に休むために協力してくれ」
「そんな、振り回されたとは思ってないよ。陽子さんがいなかったら僕はどうなっていたか分からないしね」
「……」
焦ったように言う泰麒の横で、水申が虚空を決意の眼差しで見つめ一つ頷いた。
すぐににやけた表情を浮かべると陽子を睨みつけた。
「そう言ってヨォ、謝りゃなんでも済むと思ってんのかぁ?」
陽子が目を見張って水申を見つめた。
水申は気をよくしてさらに言葉を続けた。
「こいつを連れ出しておいて虫のいいことばっか言ってんじゃねえのぉ? お前のせいでこいつが苦労してんじゃ――」
「こら、蒼猿さん。そんなこと言ったらダメですよ。陽子さんについて来たのは僕の意志です」
「はぁ? お前は口を――」
「ああ、分かった。お前の相手もちゃんとしてやるから、そう捻くれたことばかり言うんじゃない」
「おわっ!」
水申の視界がぐんと上がった。
目を白黒させる水申を腕に抱えた陽子が、それを見て楽しそうに笑う。
いわゆる子ども抱きをされた水申は、それに気づいたとたん盛大に暴れたが、陽子は笑ったまましっかり抱きしめて離さない。
泰麒も暖かい笑みで二人のじゃれあいを見つめていた。
「くそっ! ふざけんじゃねぇよ! 離せぇ!!」
「よしよし。じゃあ移動しよう。驃騎、頼む」
『――はっ』
「傲濫、お願いします」
『――是』
暴れ狂う水申をがっちりホールドした陽子が驃騎に飛び乗り、泰麒が傲濫に跨ったところで、彼らは空中を走り出した。
水申の強い決意のもと実行された反抗は、あっさり丸め込まれて終わったのだった。
※ 陽子と泰麒がコンビを組んでいる限り、水申の反抗はことごとく失敗する運命にあります。
★ あ か く ろ 10 おまけ ★
「お前は最高の刀だ! お前以上に素晴らしい刀はこの世に存在しないだろう。なに、機会がくれば強い剣士との試合を思う存分してやる。だから機嫌をなおしなさい。もう少し頑張れるよな?」
「ほら、もうすぐ今日の仕事が終わる。これが終わればしばらく休みをやるから、最後にちょっと無理をしてくれ。休みの間は私の懐に入れて、ずっと気を送ってやろうな」
「……なに? お前も気を送って欲しい? 分かった、分かった。水禺刀にも思う存分気をやるよ」
水禺刀を右手に、碧双珠を左手に、淡く輝くそれらに語りかける陽子は真剣な表情だ。
陽子は、少し離れた場所でほわほわと暖かい雰囲気を醸し出している泰麒一家の目を盗み、空気を壊さないようにこっそり水の浄化を続けている。
過剰労働でやる気をなくしている?水禺刀と碧双珠の説得も、こそこそと小声で行われているあたりかなり徹底して黒子役をつとめていると言える。
『……』
『……』
『……冗祐』
『……なにか』
『……この御方が、新しい主上か……』
『……まごうことなく』
お前ずっと影にいたんだから間違うはず無いだろ正真正銘この御方が主に決まってんじゃねーか!
と、思っても口にしなかった冗祐は、驃騎の内心が手に取るように分かった。
それはもちろん、全く同じことを数日前に経験したからである。
内包される王の威厳は計り知れず、その器量は底が見えない。
しかし、凄さが突き抜け過ぎて、自分たちには理解できない領域に立ってらっしゃるようだ。
冗祐と驃騎は言葉を交わすことなく同じ境地に至った。
※ 陽子が『気』といっているものは霊力にあたるんじゃないかな〜と思いつつ『気』のままです。
神籍の王様は総じて霊力高そうですが、陽子みたいにありえん精神構造してると霊力も馬鹿高いと思っています。
★ あ か く ろ 11 ★
どこかの山道の中、闇に紛れて二つの人影があった。
一方は黒い布で全身を覆い隠し、もう一方は金の髪をしていた。
周囲には何頭かの獣が見える。
「なんということを……」
嘆くように言って顔を覆ったのは、金の髪をしたほう。
「よくやった」
黒い布を頭から落とした。そこから現れたのは男の老けた顔だった。
この男こそ巧国の王、塙王であり、金髪のほうは巧の麒麟、塙麟である。
巧王は言う。
「蝕のあった近隣の村に海客が現れたという報は聞かぬ。蝕の最中に命を落としたか、山の中で野垂れ死んだか。死体を確認できぬことは残念だが、すでに生きておらぬだろう」
その言葉を聞いて塙麟は涙をはらはらとこぼした。
塙王が振り返り、地に伏せる一頭の獣に目を向けた。
「その程度の器だったということだ。わざわざ蓬莱まで出向いたが、よくよく主運がなかったと見える。のう、景台輔」
獣――景麒は反応を返さず、静かに俯いている。
塙麟は涙をこぼして塙王を見上げた。
「主上は取り返しのつかないことをなさいました。天はお許しにならないでしょう。きっと巧は報いを受けます。主上とて例外ではありません」
「いまさら言うても始まらぬ。儂の命運は尽き、巧は沈む。景王に同行してもらえてなによりだ」
そうして男は語る。誰にも明かすことのなかった心の内を。
こうして追いつめられなければ半身にすら語ることのなかった、心の奥を。
塙麟がいくら嘆き悲しんで問いただしても、塙王の言葉は淡々としたまま。
そして、塙王はほのかに苦笑した。
「――愚かなことをしたな。だが、今さら後に引けぬ。どうせ巧は滅び、儂は死ぬ。ならば、慶にも同行してもらう」
その時、静かに会話を聞いていた景麒が上空を見上げた。
数瞬遅れて他の獣たちも空を見つめ、数匹が声をあげた。
『っ、主上! 台輔! この場をお離れくだ――』
ドッゴォォオオォォオオオオオン!!
いきなり背後に轟音が響いた瞬間、衝撃を受けて塙王と塙麟は前方に吹き飛んだ。
「っく! 何事だ!!」
「主上!!」
もうもうと上がる土煙のせいで何も見えない。
地に伏せた塙王は素早く身を起こし、塙麟も身を起こすと同時に使令に指示を出した。
己の安全と主の安全、それを受けて塙麟の使令が動く。
しかしその前に塙王の身を拘束した影があった。
「――動くな」
するりと耳に入り込む、力強い声が響いた。
ふいに風が舞い上がり、あたりに満ちた土煙が消えた。
「っ主上!」
塙王は仰向けに地に押さえられ、首元には刀身が触れていた。
それを成している人物は白い布で全身を覆い隠し、布の隙間から褐色の肌が見える。
塙麟が使令を差し向けようとすれば、それを察した人影が強い殺気を放ってくるので、迂闊に動くことが出来なかった。
「……おぬし、何者だ」
完全に動きを封じられた塙王が、低い声で問いかけた。
「お初にお目にかかる。私は中嶋陽子という者」
頭部の白い布が下ろされ、若い女の顔が現れた。
その姿というより、その者の言葉を聞いて塙王と塙麟は目を見開いた。
聞き慣れない名前、それがあらわすものはただ一つである。
「――海客かっ!」
「その通り」
「では……あなたは」
「死んで、なかったのか」
陽子の言葉を聞いて、塙麟と塙王が驚きの声をあげる。
陽子の姿が緋色の髪に褐色の肌、翡翠の目であることを見れば、胎果であることもすぐ分かる。
そこから導き出される答えは――
「慶の胎果、景王」
呻くように言った塙王の言葉を受けて、陽子は微笑した。
ちゃりっと音を立てて水禺刀を持ち直し、こちらの隙を伺っている塙麟の使令を牽制する。
しかし、視線は塙王に合わせたまま、年老いた眼の奥の激情を受け止めた。
「失礼ながら、先ほどの塙王の言葉を聞かせてもらった。その心内が分からぬとは言わないが、犯してはならぬ罪を容認することにはならない」
「貴様に何が分かるっ!!」
「麒麟は天意の器、ならば景麒に選ばれた私が成すことも天に望まれたことと解釈しよう。塙王、あなたに裁きを。天の代わりなどと大それたことは言わぬ、これは私の我が儘だ」
塙王の怒声を受け流し、陽子は水禺刀を振り上げた。
その隙をついて塙麟の使令たちが陽子に殺到したが、影から現れた驃騎がそれを遮る。
勢いよく振り上げられた水禺刀が、そのままの勢いで振り下ろされた。
塙王は安堵とも狂喜ともつかぬ歪んだ笑みを浮かべ、そっと目を閉じた。
「主上ー!!」
塙麟が手を伸ばし絶叫をあげた。
「教育的指導ぉぉおー!!」
ゴッヅン
「――ぐっ」
水禺刀の側面(鈍器)で思いっきり殴られた塙王はその場に倒れた。
やっと王から解放される喜び、巧が愚王から解き放たれる安堵、景王を殺すことは叶わずとも自身を殺させることで降りかかるだろう災いへの狂喜、そうして慶を道連れに出来る愉悦、こんな最期しか迎えられない自分への悲哀。
死の間際だと勘違いした塙王は様々な思いを巡らせたが、訪れたのはただの鈍痛だった。
しかし意識は綺麗に刈り取られているので、次に目覚めるまで自分は死んだと思いこんでいることだろう。
水禺刀は、塙王の額に打ち付けられたままの状態で淡い光を放っている。
その光は徐々に塙王の額に染みこんでいった。
完全に光が消えると、陽子は水禺刀を取り上げて鞘に戻した。
塙麟の使令たちは襲ってこなかった。すでに陽子に殺気はなく、ならば他国の王に危害を加えるわけにいかなかったからだ。
呆然とこちらを見ている塙麟を見て、苦笑をうかべた。
「塙麟、誤解させて悪かった。私に塙王を殺すつもりはない。……額にたんこぶは出来たかもしれないが、骨に異常はないはずだ」
話しながら塙王のそばを離れると、塙麟の使令たちが間に入ってきた。
塙麟も塙王の近くに膝をつき、主の様子を目で確かめて安堵の吐息を落とした。
そして少し離れた位置に立つ陽子を見上げる。
「……なぜ、このようなことを」
「水禺刀の力で、いま塙王は夢を見ている。己の望みが果たされた後の巧の姿を。報いを受けた巧の国が荒れ、民が苦しみ、絶望が満ちあふれる様を。それに付き合わされた慶が滅ぶ様を」
塙麟が悲痛な表情で顔を伏せ、耐えるように唇をかみしめた。
陽子はこの先を言うか一瞬迷ったが、すぐにまた口を開いた。
「……そして、私が景王とならなかったことで起こる、様々な弊害を目の当たりにしているだろう。慶に続き戴が滅び、近隣二国が滅んだ弊害を受けた雁が衰退をはじめる。その後は北東の国からゆっくりと荒廃し、ついに十二国全土が死の土地となる」
「そんな……!」
「起こりうる未来だ。過信するつもりはないが、胎果の王が選ばれるとはそういうことだ。常世の者では対処出来ぬことを求められる」
陽子がこの先成すことは慶のみならず世界を変える。蓬莱で育った陽子だからこそ持ち得た信念が、少しずつ世界を豊かに変えていくのだ。
陽子は慶を救い、世界を救うことを天に望まれた王。
延王にしてもそう。おそらく延王がいなければ雁を復興させることは出来なかった。すでに雁が滅んでいてもおかしくない。
そして、世界を変える陽子を支える者として、豊かな国を作ることが求められていたとしたら。
延王は雁を救い、世界を救う陽子を支えることを天に望まれた王。
「それに、塙王は雁や奏を羨んでいたようだから、彼らの国の長い歴史を眺めていることだろう。水禺刀の力をほんの少し移したから、その力が消えるまでは塙王が望むものを夢にして見せるはずだ」
塙麟はすでに言葉もなく陽子を見つめている。
陽子は優しい笑みをうかべた。
「10日もすれば塙王は目覚めるだろう。夢を見た塙王が何を思うかは分からぬが、何かが変わっていることは確かだ。彼も天に望まれた王。その心に誰にも勝る王の資質が隠れている。……再び、国を治めるために立ち上がることもありえる」
塙麟はハッとした様子で目を開いた。
「その時は、塙麟、あなたが塙王を支えてあげてほしい。王に臣下は数多くいても、半身はあなたひとり。民には慈悲を、王には親愛を。分かり合うために言葉を惜しまず、思い合う情を秘めるだけではいけない。王と麒麟といえども、たくさん喧嘩したってかまわないんだ。時には横っ面をひっぱたいて止めてやることだ」
「……」
その場でぶんっと手を振った陽子を見て、塙麟は呆気にとられたように目を丸めた。
そしてゆるゆると表情を緩めると、微笑をこぼした。
「ひっぱたく、ですか」
「そうだ。麒麟だからといって遠慮することはない。『お前がしっかりしないと私も死ぬんだからふざけんな!』という思いを込めて力一杯叩くといい。夫婦間は女性が強い方が上手くいくことが多いんだ。塙麟ももっと強気の態度で塙王を締め上げると良いだろう」
にこにこと笑う陽子を見て、塙麟も明るい表情に変わっていく。
ここ最近見られなかった塙麟の様子を見て、使令たちは人知れず安堵の思いを抱いていた。
その後。
とある場所の山道では、昏倒した塙王の頭を膝に乗せた塙麟と、麒麟姿のままぐったりしている景麒の頭を膝に乗せた陽子が楽しそうに会話する姿が見られた。
※ ある意味、塙王は陽子に試練を与える役目をもった王と言えるでしょう。
ちなみに今後の巧国は塙麟のカカア天下!……になるかもしれませんね?笑
私の妄想解釈が多く含まれます。注意☆
★ あ か く ろ 11 陽子side ★
今日はもう寝るだけ♪の状態で寝床(野木)に飛び立った陽子一行だったが、そのまま素直に眠ることは出来なかった。
『――主上!』
「分かった、少し待て」
密やかながらも声を荒げた驃騎に、陽子は落ち着いた声を返した。
すでに月は天頂を過ぎている。入浴にかなり時間がかかり、休む時間はあまり多く残されていない。
驃騎の訴えは声の色から考えて何か問題が発生したとしか考えられない。
それらを一瞬で判断した陽子は、泰麒と別行動することを決めた。
驃騎が足を止めたことに気づいた傲濫も空中に停止し、無言で離れた距離をつめた。
「どうしたの?」
「少し用を思い出したから、要くんは先に行って休んでいてくれ」
「……分かった。気をつけてね」
泰麒は何も聞かず、宙を飛んでいった。
今は時間が無いから後から説明する……という言葉が言わずに伝わっている。
陽子は小さく笑みをうかべて泰麒の後ろ姿を見つめた。
すぐに真剣な表情に戻ると、ふわりと驃騎を撫でた。
『主上、台輔の気配を感じます』
「近いのか」
『はい。――かなり、弱っておいでです』
弱っている景麒の気配を感じたのなら、かなり近くに景麒がいることになる。
この三日間、この国の人間にバレないようにしながらサバイバルを行いギリギリ人間的な生活を送ることを目標に動いていた。
だが、景麒のことを忘れたわけではない。時間を見つけて水禺刀で様子を覗っていた。
景麒はこちらに来た日に塙麟に囚われ、角を封じられているはずだ。
(すでに慶に送られてしまったと思っていたが……)
囚われてすでに3日。ぶっちゃけ、なんでまだここにいるの?と言いたい。
薄情な言い方になってしまうが本音なんだから仕方がない。
もちろん、景麒を真っ先に救うことを考えなかったわけではない。
水禺刀があれば景麒のいる場所を探ることができるのだから、景麒が近辺にいるうちに救い出すことも可能だっただろう。
……景麒を迎えに行く手段があるのならば。
囚われた景麒のそばには塙麟がいる。塙麟にはもちろん使令がいる。なぜかついでに塙王もいる。
☆ 景麒救出(仮想)ミッション ☆
1.景麒のいる場所まで爆走 (驃騎は瀕死中)
2.使令たちを蹴散らす (近くに麒麟がいるから血潮は厳禁★)
3.景麒を担ぎ出す (人型は相当でかい=重い)
4.追っ手がいなくなるまで逃走 (景麒で両手が塞がるから走るしかない)
5.国同士の問題になるので塙王と塙麟に怪我を負わせるのは論外 (さすがに『やられたからやり返した♪』という言い訳は出来ないだろう)
そんなこと、さすがの陽子にも出来そうになかった。
いや、ホントの本気を出せば出来ただろうが、泰麒の安全を考えると危ない橋は渡れない。
巧の民に海客と思われないことで塙王の目をくぐり、塙麟の使令に見つからないように配慮することで、塙麟の使令から逃れているのだ。
それなのにわざわざ敵中に姿を現すことなど……。
景麒が殺される心配はないだろうし……ごめんね、景麒★
お前なら耐えられると信じている!という(景麒にとって)ありがた迷惑な信頼のせいで救出を断念されたことは、景麒が一生知らぬままで終わりそうな真実である。
「景麒のいる辺りの雲海直前まで上昇してくれ。とりあえず様子を探ろう」
『――は』
驃騎はすぐに移動をはじめる。
それを確認した陽子は背後に手をやり、水禺刀を手に取った。
「あー、水禺刀。今日の仕事はもう終わりと言っていたが、どうしても力を貸して欲しい事態になった。うん、うん、分かってる。本当に申し訳ない。でも、頼む。力を貸しておくれ」
驃騎が空中に静止するまで、陽子の説得は続いた。
水禺刀に写る幻影の中には、塙王と塙麟、塙麟の使令と思わしき獣が数匹、そして景麒の姿があった。
話を聞いていると、塙麟はこの地にとどまり陽子の捜索を行っていたらしい。
途中から死体捜索に移り変わったらしいが、それも成らず。
蝕で海客が死ぬことは多く、死体が海に消えることもそれ以上に多いだろうと言われている。
塙王と塙麟の結論は『景王死亡』で落ち着いたらしい。
たった三日の探索で結論を出した彼らが愚かなわけではない。使令の探索から逃れる、という偉業を成し遂げた陽子たちが一枚上手だっただけの話だ。
(ふふ……一日中歩き続けた甲斐があったな)
その時の苦労を思い出し、陽子は疲れ切った笑みをうかべた。
とにかく蝕のあった海岸線から離れ、その間も殺気(本能が近寄ることを拒絶するような酷いやつ)を放ち続け、野木の周辺一帯は陽子のテリトリーとして野獣たちに強制認識させた。
休息に訪れる獣を拒みはしないが、それ以外の獣は無意識に近寄らない。
本当に恐いのは、殺気と気づかせずに殺気を出すことだ。意識させずに本能に語りかける、これ最強。
これのおかげで塙麟の使令たちの目を誤魔化すことに成功していたらしい。
陽子が満足気に頷いている間にも、塙王と塙麟の会話は続いていく。
塙麟は悲しみに満ちた言葉を繰り返す。
返す塙王は淡々とした声で、でも、隠しきれぬ諦観を滲ませて。
塙王の言葉は、誰もが思うことだろう。王ならば必ず持つ悩みかもしれない。
自分の国だけ貧しいのは嫌だ、だけど他の国のように豊かにするのは大変で、それよりも隣国を荒らすほうが楽だった。
「――愚かなことをしたな。だが、今さら後に引けぬ。どうせ巧は滅び、儂は死ぬ。ならば、慶にも同行してもらう」
そう言った塙王の言葉に、血が沸騰するような熱を感じた。
水禺刀の柄と鞘を力強く握りしめ、軽やかに空を舞った。
『主上っ!?』
頭上から、驃騎の驚愕に満ちた声が聞こえる。
衣服がバタバタと風になびき、耳の横でビュウビュウと空気の音が鳴る。
地上を睨らみつけ、少しずつ見えてくる人影に思いをはせた。
その思いが分からないとは言わない。
遙かなる過去、自分が何度も囚われそうになった思いだから。
しかし、思うだけならまだしも実行するとなると話は別だ。
犯してはならぬ罪を犯すということは、ただ王が倒れるよりも手酷い咎を負う。
それを容認したことが許せない。許すわけにいかない。
いまこの時、こうしてこの場に居合わせたのが運命ならば、同じ王として彼の行動を止めたいと思う。
加害者と被害者というおかしな関係だが、だからこそ私が彼を止めなければならない。
彼の行動が国に災害をもたらし、民に無象の危機を与えるのだから。
それに、なにより。
淡く笑った塙王の表情は、苦しみ抜いた果てに痛みを感じなくなった者のようだった。
そんな顔をしたまま死にゆき、さらには多くの命を道連れにするなんて――
王は辛い。長く果てしない道を、半身だけを共に苦しみ抜いて進むようなものだ。
人としてのまともな感性だけしか持っていなければ簡単に狂う。多くの嘆きと悲しみを乗り越え、涙と痛みを内に隠して進んでいく。
それでも、辛く苦しいことばかりではない。それ以上に嬉しいこともある。
ただ人として生きているだけでは味わえないような、途方もない幸せを感じることだってあるのだ。
だから。
――そんな顔のまま、死なせたりなんてしない。
塙王を止める。
彼が犯そうとした罪をなくすためとか、巧が滅べば被害が拡大するとか、そんな理由以上にただこんな顔をさせたくないから。
死ぬときは自分の人生に満足して、笑って死ぬべきだ。こんな顔して死ぬ奴は許せない。
思いっきり持論だが、持論を押しつけて何が悪い。
余計なお世話と言われようとも嫌なものは嫌なのだから、全力で邪魔をしてやる。
獰猛な笑みをうかべ、剣の柄を再度握りしめる。
すると、水禺刀から輝かしい光が放たれた。
先ほどまで幻影を見せることを渋っていたとは思えない、鮮烈な光。
説得なんて必要ない。ただ、陽子の強い想いを受け止め、水禺刀は応えた。
――私にできる最高の手段をもって、塙王を止めよう。
それが後に『人格大改造★聖なる悪夢スペシャル』と呼ばれ、数々のどうしようもない大悪党を強制更正させるようになるのだった。
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