出会った直後から感じていた『この人について行けば大丈夫だ!なんかよく分からないけど大丈夫!!』という無謀にも見える信頼は、異世界における行動によって見事に証明されていた。
そこには、さっきまでの殺気をどこに仕舞ったんだと言いたくなるくらい爽やかな笑みを浮かべる陽子と、水申と陽子のやり取りを日だまりのような笑みで見守る泰麒がいた。
口に出さないのは再び陽子に攻撃されることを恐れ……いや、恐れたわけじゃない。面倒なやり取りを回避するためだ。今と同じやり取りをもう一度繰り返すなんて、考えただけで胸がむかむかする。
事情を知る陽子は「今まで人の闇を写し取ってばかりだったから、こうした会話は苦手なのかもしれないなぁ」と思っていたし、半端に事情を知る泰麒は「剣の鞘らしいし人の感情に疎いのかもしれないな。それにしては感情豊かに見えるけど」と思っていた。
★ あ か く ろ 8 ★
川辺に着くと辺りはすでに宵闇に包まれていた。
夜は妖魔の襲撃が最も危ぶまれる時間帯だが、陽子たちにとってはそんな心配欠片もなかった。
私の入浴を邪魔する気か
ぁ゙あ゙ん?
という、いつも以上に覇気に満ちあふれた陽子の殺気が辺り一帯を覆っているからである。
そのせいでこの辺り一帯は動物すら近寄らないとても安全な空間になっていた。
こんな危険な殺気の主に近づくのは確実に自殺行為だ。そんなことするのは気配に疎い馬鹿な人間くらいのものである。
さらに陽子は、殺気によって生まれた空白地帯を結界によって包んでいたので、この辺がこの国で一番安全な場所になっていたりする。
才能の無駄遣いに見えるが、これもこの国の王の目を誤魔化すために必要なことだったのだ。
決してゆっくりお風呂入りたいからついつい力がはいっちゃった
アハ☆というわけではない、たぶん。
陽子は布から水禺刀を抜き出した。
その布を泰麒に渡し、水申と一緒に少し離れているように指示を出す。
彼らは離れた場所にある焚き火のそばに腰掛け、陽子の様子を見守った。
陽子は静かに目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えた。
「まず、浴槽を用意します」
その場に飛び上がり、豪速で両腕を振り下げた。
ドゴォォオオン!
近所迷惑もいいところな轟音が鳴り響き、空気を震わせた。
しかし近所には森しかなかったので苦情が来る心配はなかった。そのまま作業を進める。
「次に、浴槽に水をためます」
水禺刀を川の水に浸し、精神を集中させる。
刀を通じて水の流れを感じ、心を静めて流れを操る。
カッと目を見開き、両手で握りしめた刀の鞘を力一杯振り上げた。
水禺刀の剣先には水の固まりがくっついており、そのままの勢いで即席浴槽の中に飛び込んだ。
バッシャァァアアン
「ふう、とりあえず湯船の完成だ」
陽子は水禺刀を右手に持ち、左手で(かいてもいない)額の汗を拭った。
その表情はもの凄く達成感に満ちあふれている。
足下には人一人分は入れそうな穴が空き、中にはたっぷりと水が入っていた。
パチパチ パチパチ
「凄いね、陽子さん。水禺刀にはそんな力もあったんだね」
泰麒が純粋な賞賛の眼差しで陽子を見つめている。
しかし、隣にいる水申は凄い顔をしていた。
その表情は如実に「そんな力あるわけねぇだろ!」語っていが、それを口にする以上に先ほどの光景が信じられなかった。
これまで水禺刀の制御を担当して幾星霜(実際は数百年ほど)、自分ですら水禺刀のそんな使い方を知らなかったし、そんな使い方をする王と出会ったこともなかった。
今度の王は変な奴だと思っていたが、その認識が新たに塗り替えられた。
この女は規格外に可笑しい奴だ。普通に変な奴と一緒にしたら、変な奴のほうが可哀想だ。
微妙に引きつった表情を浮かべる水申を見て、やっぱり感動していたのは冗祐だった。
ですよね!?ですよね!?という無言の共感を覚えている彼は今も主の身体の中。
早く新しい同僚に挨拶したいと思っている彼だったが、主の意向を無視していきなり現れるのは以ての外だ。
今まで独断で表に出ちゃったのはたった一回、主の奇行に驚愕してツッコミを入れた時だけである。
それ以降は「いくら今回のことを主が許して下さったとはいえ、今後命を無視して表に出ることはあってはならない!」と己を強く戒めていたため、水申との面会は未だ成らずの状態だ。
挨拶出来る時を、こっそりとうきうきしている冗祐だった。
陽子は泰麒と水申のいる近くに来ると、嬉しそうに顔をゆるめた。
泰麒の賛辞は裏も何もない純粋なもので、陽子の心の素直に響いたから。
「ありがとう。水禺刀にはいつも助けられているんだ」
にこにこと笑い合う陽子と泰麒、間でげんなりしている水申。
端から見ればいつまでも馬鹿ップルな夫婦と、それに呆れている息子のように見えた。
「要くん、預けておいた碧双珠を借してくれないか」
「はい、どうぞ」
碧双珠を受け取った陽子は、また即席湯船のもとに向かった。
今度は水禺刀を剣の部分を水に浸し、ぐーるぐーると水を混ぜはじめた。
「キレイニナァレ〜キレイニナァレ〜トッテモキレイナオミズニナァレ〜」
呪文とも言い難い言葉をブツブツ呟き、ぐるぐる水をかき混ぜる。
その言葉に合わせて水禺刀が薄く輝きはじめ、混ぜられている水にもその光が徐々に移っていった。
今や水全体がぼんやりと光を放ち、陽子を妖しく照らしていた。
それを見て、観客と化した二人が感嘆の声を漏らす。
「すごい……」
「……なんだぁ、ありゃ」
泰麒が光景の美しさに感動を表したのに対し、水申は信じられない光景に驚愕を表していた。
水禺刀の剣はうまく支配すれば過去未来、千里の彼方を映すことが出来る。
しかし、目の前の光景は彼方を映しているのではなく、それ以外のことを成している。
……呪文もどきの内容を信じるならば、水を清めているらしい。
先ほどのことも含めて、自分はもう驚くことが仕事なのかもしれない。
水申はついにそんなことを考えはじめた。
ここまでくると、隣で素直に感動している男がただの馬鹿ではなくて、目の前の奇天烈女と同じくらい得体の知れない人間に見えてくる。
そもそも、鞘である自分には人の胸中を読むことが出来るはずなのに、彼らの心が読めないのはどういうことだろう?
今まで理由を考えるのが恐ろしすぎて後回しにしていた思考が頭に浮かび、水申は地面を見つめて真剣に悩みはじめた。
満足するまで水を混ぜた陽子は、続いて碧双珠を取り出した。
「碧双珠、これからお前に重要な任務を与えなくてはならない。今まで泰麒の穢れを払うことで大変だったかもしれないが、どうしてもお前の力が必要なんだ。分かっている。お前も疲れているよな。でもお願いだ、力を貸してくれ! この旅が終わり蓬山に向かうことがあれば、そこでお前のために水瓶いっぱいの聖水を用意してもらうことを約束しよう! 満月の夜は、清水に身を浸しながら月明かりを浴びれるようにしよう! 頼む、今だけ少し無理をしてくれ」
碧双珠を両手に掲げ、頼み込むように頭を下げた。
それに応えるように碧双珠は淡く輝いた。
優しい光が降り注いでくるのを感じ、陽子は頭を上げた。
「ありがとう!」
陽子は碧双珠に頬ずりした。
どう見ても危ない人にしか見えない行動だが、碧双珠が淡く輝いているおかげで神秘的にも見える。
事実、この光景を見ていた泰麒は感動を深めていたし、水申は悩みを深めていた。
ちなみに陽子の言葉は二人に聞こえていない。
陽子は碧双珠を繋いでいる組紐を手に持ち、碧双珠を水に浸けた。
目を閉じて心を落ち着け、願いを声に込めて力一杯言葉をはき出した。
「
ちちんぷいぷい!」
ピカッ!
碧双珠が閃光を放ち、それを受けた水も一瞬光を放った。
そして辺りに闇が戻る。
陽子の目の前には、神聖さ漂う透き通った水があった。
「これで良し」
そしてこの後、陽子は同じことを2回繰り返し、川辺には異常なほど綺麗な水で満たされた即席湯船が3つ完成した。
※ 多大なねつ造を含みます。私は水禺刀と碧双珠にかなり夢を見ているので(笑)
★ あ か く ろ 9 ★
「私たちが身を清める前に、まず、使令たちを清めなくてはならないんだ。私たちの入浴は後になるけどいいかな?」
「はい。陽子さんがそう言うなら構わないよ」
陽子は一つ頷くと、さらに言葉を続けた。
「私と水申は彼らの入浴の手伝いをするから、要くんは荷物の番をしながら夕食の準備をしていてほしい。要くん、料理はできる?」
「簡単なものなら」
「そっか、じゃあ大丈夫だね。複雑なものを作れるほど食材と調理器具は無いから。この前も言ったけど、要くんの分は野草と果実だけにしてね。無理して私の分の魚まで調理しなくていいから」
「分かった」
陽子は数匹の魚を入れた袋を渡し、食材と調理器具の入った袋も渡した。
受け取った泰麒はすでに職人の顔をして袋の中を見ている。
……予想以上に凄い料理が出来そうな予感を感じながら、陽子は自分たちの影に視線を落とした。
「冗祐、水申との会話は後で時間をとるから、今は泰麒の護衛として近くに潜んでいてくれ。泰麒の回りには結界をはっておくから一応な。不測の事態に備えてほしい」
『……御意』
陽子の張る結界は、彼女の有り余る年月の集大成とも言えるほど強固な物だ。
それこそ天仙が攻めてくるようなあり得ない事態が起こらない限り破れはしないだろう。
しかしそれでも不測の事態に備えるのは大切なことだ。
というわけで、なにやらそわそわしている冗祐を護衛につけた。
「泰麒の使令のお二方、あなた方は一刻も早く穢れを清める必要があります。あなた方の穢れを受けて泰麒の身も弱っておいでです。お分かりになりますか?」
『……分かりました』
『……指示に従おう』
思うところがあったらしい二人の声が地中から響いてきた。
泰麒から離れた場所にゆっくりと現れた彼らを見て、泰麒が目を丸めた。
「あなたたちは……」
「要くん、今は待ってくれ。彼らの身を清め、要くんの身も清めてから再会を祝って欲しい」
「……はい」
泰麒は名残惜しそうな表情を浮かべつつ、焚き火のそばに戻っていった。
彼の使令二人も切ない眼差しでそれを見つめていたが、その場を動こうとはしなかった。
「驃騎も身を清める必要がある。悪かったな。今まで苦しかったろう?」
『……いえ、ご心配にはおよびません』
苦しそうに答える驃騎の声を聞いて、陽子は苦笑した。
「では、泰麒の女怪殿は一番奥の清水に浸かって下さい。清めの手伝いは私がします。泰麒から離れるのは不安かもしれませんが、彼も年頃の青年なので女性の入浴を目にするのは気が引けると思いますので」
言葉の後半は、表情を曇らせた女性の耳元でこそこそと続けた。
さすがに泰麒に聞こえるように言うほどデリカシーが皆無ではない。
それを聞いた女怪は、不思議な色合いの瞳でじっと陽子を見つめた。
「どうかしましたか?」
『わたくしは泰麒の使令、景王が敬語をお使いになる必要はありません。今後は汕子とお呼び下さいませ』
『私は傲濫。敬語も不要だ』
汕子と傲濫の眼差しは真摯なもので、今まで狂気にかられていた使令とは思えないほどだ。
彼らはここ数日の陽子の行動をずっと見ており、どんな人物なのか見定めていた。
そしてその行動は泰麒を危険にさらすことはなく、さらに泰麒がかなりの信頼を寄せているのを感じとった。
結果、彼らも景王を信じることにした。なので他国の王に自ら名を許したのだ。
「……分かった。汕子、傲濫、今後もよろしく頼む」
汕子と傲濫は無言で頷いた。
「傲濫は一番手前の清水に浸かってくれ。驃騎は中央に。水申、お前は傲濫の清めを手伝うように。気合いを入れて洗ってあげるのだぞ」
「……おぅよ」
水申はもの凄く嫌そうに頷いた。
それでも拒否を表さないのは、陽子が拒絶を許さない笑顔を浮かべているからだ。
闇を切り裂くように美しい微笑だが、あいにく目が全く笑っていないからかなり恐ろしい。
こんなもの向けられて否定を表す動物はいないだろう。人間も相当の馬鹿でない限り無意識に頷く。
「それではこれより、お清め会をはじめます!」
陽子の言葉を合図に、使令たちは水場に向かった。
使令お清め会はかなりの時間がかかった。
驃騎は適度に清水に浸かり、適度にごしごし擦る程度で元に戻ったが、泰麒の使令二人の穢れは相当なものだった。
陽子が丁寧に汕子を洗い、水申が豪快に傲濫を洗い、ひとときすれば水が汚れ、それを陽子が再び清め、また洗う……ということを数回繰り返した。
その結果、完全とはいかなくても泰麒に穢れが移らぬ程度には清めることが出来た。
「これ以上はいくらやっても無理」という陽子のドクターストップならぬキングストップがかかって、終わりが見えなさそうなお清め会は終了した。
「これでひとまず二人の身は清められた。が、まだ泰麒には近づかないでくれ。二人が影に戻るのは泰麒も身を清めてからね」
『はい』
『ああ』
身体を洗いながら友好を深めた汕子は、薄い笑みを浮かべながら返事をした。
水申といつの間にか友情を築いたらしい傲濫も、先ほどより柔らかい雰囲気をまとっている。
それは水申も同様で、今まで真顔が多かった顔が楽しげな表情を浮かべていた。
その様子を見て陽子は笑い、次の行動を考えた。
「よし、今度は私たちの分の湯船を用意して……」
「陽子さん、まずは夕食にしようよ。ちょうどいま出来たところだよ」
泰麒が小さな鍋をかき混ぜながらにこにことこちらを見ている。
片手には小さなお椀を手に持ち、いまにもスープをよそって入れようとしていた。
「要くん……分かった、いただこう」
陽子は笑ってそばに腰掛けた。
今出来たところ、という言葉は彼なりの優しさだ。
すでに泰麒が夕食を作り出してかなりの時間が経っている。本当は随分前に出来ていたに違いない。
それでもすぐに声をかけなかったのは陽子たちの頑張りを遮りたくなかったからだろうし、『今』と言ったのは陽子に気を遣わせたくなかったから。
それを感じた陽子は、その気遣いを無言で受け取った。
泰麒に渡された椀の中には、美味しそうな野菜スープが入っていた。
ちなみにこのお椀とスプーン、陽子が近くの木を切って削って出来た物である。めいどばい陽子。
お椀に口を付けた陽子は、感嘆の吐息をこぼした。
「……美味しい」
「そう? 良かった。口に合ったみたいで」
「ああ、心も身体も温まるよ。こちらに来てから木の実しか食べてなかったから」
「そうだね」
互いに笑みを浮かべながらゆっくりと食べていった。
本当なら空腹に任せてガツガツ食べたいところだが、それよりもこの雰囲気を大事にして静かに食べたいと思っているのだ。二人とも。
少し離れた場所で使令たちと水申が二人を見守っている。
彼らも彼らなりに友好を深めているらしく、内容は分からないが話し声が聞こえる。
泰麒と陽子の護衛はいいのか、という心配は全く必要ない。陽子がいるだけですでに十分だからだ。
「ああ、そうだ。スープが出来るまでの間、時間があったから作ってみたんだ」
泰麒の手には可愛らしい小物が乗っていた。
「布の余りで巾着袋と、リボン代わりの組紐をいくつか……陽子さんが気に入った物は使ってほしい」
「要くん……!」
陽子は感動のままに、お椀とスプーンを置いて泰麒の両手を握りしめた。
「私のお嫁さんにならない!?」
「……」
泰麒は目を丸めたが、すぐに柔和な笑みを浮かべた。
「僕でよければ喜んで」
「そうか、嬉しいよ! 二人で幸せな家庭を築いていこうね」
「はい。僕は陽子さんを支えられるように頑張るね」
にこにこと笑い合う二人は、互いに冗談であることを分かりつつ楽しそうに話を続けている。
しかし、外野に回っていた使令一同はあたふたとした表情を浮かべていた。
王にいきなり大公が……!! 待て、女王が嫁をもらうことが出来るのか? 王だから出来るのでは……
泰麒がお嫁さんに……!? そんな、王がありながら他国の王の伴侶になるなんて……でも、幸せそうだからそれでも……。いや待て、泰麒は雄だ。嫁になれるはずなかろう。
「落ち着けよ。ありゃあどう見たって、本心じゃねぇだろうがよぉ」
水申の有り難い忠告は、焦る使令一同の耳には届かなかった。
今も何事かをブツブツ話し合い、最終的に
『王(泰麒)が幸せならそれでいいか』という結論に落ち着いた。
その時にはすでに、渦中の二人が全く別の話題で話をしているのを見て、水申だけが呆れたように吐息をこぼした。
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