「それは一大事ではないか」

荒ぶる声を抑え、深刻そうに地官長は言った。
そして視線を流しながらそのまま言葉を続けた。

陽子は目の間のやり取りをぼーっとした眼差しで見つめていた。
真剣に聞いていたら、腹立ちまみれに一発殴りそうだった。
景麒を(完全な八つ当たりである)
今さらながらに思うが、ココは己の治めていた『慶』ではないのだ。
居並ぶ官吏も定められている決まり事も、全て遠い昔に定められていたもの。
佞臣ばかりとは言わない、即位前から長く仕えてくれた者もいる。
悪法ばかりとは言わない、古き良き法は数多く存在している。
しかし、己のそば近くになればなるほど国と民と王のことを心底敬愛する者ばかりだった、つい最近の記憶が脳裏をちらつくのだ。
(狂気とも言える尊敬を抱えた者ばかりだったのだから、なおさら)
守り守られること、信頼し敬愛されることに慣れすぎて、こうしたやり取りには辟易してしまっている自分がいる。

「(私は、気付かず弱くなっていたのだろうか……)」

目の前で交わされる声を小耳に挟みながら陽子は自嘲の言葉を溢した。

「その、麦州というのは慶の州の一つだったな。それで――」

「主上」

気を取り直して声をかけていた陽子の言葉を、低い声が遮った。

「麦州候を罷免なさり、一時的にそれなる和州候呀峰に麦州をお任せになっては如何でしょう」

蕩々と喋る地官長に、陽子は困った瞳を向けた。
しかし、傍に立つ景麒は背筋につーっと冷や汗を流していた。
地官長が話し出した途端、主から漂ってくる気配が一瞬ひんやりとして寒々しいものに変化したからだ。
チラリと横目で主を一瞥し……そのまま顔を蒼白にした。
弱々しいなり損ないの笑みを浮かべ、困惑の眼差しを浮かべている陽子はしかし、怒り狂う苛烈な鬼気を纏っていた。
局地的台風のように陽子の気配は吹き荒れ、壇上を覆っていた。
つまり、被害者は景麒一人。
しかも景麒は元々肌が白いため、蒼白なったとしても誰も気付いちゃくれなかった。

私の言葉を遮るとは……大減点だな……

陽子は景麒にだけ分かり易いように怒りを浮かべながら、内心そう呟いた。
王の言葉を遮り、語る言葉が己の願望とは、コレはいかに。
しかも任官に対して理由もなく『どうか?』とだけ提案するなど、駄々を捏ねる子どもの我が儘と変わりない。
その言葉を聞いて『然り然り』と頷きそうな表情を浮かべている面々にも、陽子は次々に真っ赤な減点マークを付けていった。

「任やそのようなことは即位の後に」

陽子に返答の間を与えず、男性にしては高めの声が響いた。
それを聞いてやっと陽子は怒りの気配を振り払った。
(景麒はか細い安堵のため息をついた)

ああ、止めてくれなければ笑顔にヒビが入るところだった。

いくら常人には気付かれぬくらいの違和感とはいえ、舞台に立つ者としては小さな欠陥も許せないものだ。
(え、景麒には気付かれているじゃないかって? 半身なんだから他者に気付かれたうちには入らないのだよ。そもそもヤツだけが気付くように放ったのだから当たり前だ)
怒りを助長させる声を遮ってくれた官吏に、陽子は感謝の目を向けた。
(その目すら、擬態のせいで弱々しい光しか宿していないが)





陽子の脳内作成である『マル秘チェック☆新王への言動に見る慶の官吏の実態スペシャル! 長期調査による完全丸裸計画「諦めろ お前の心は 見通した」〜ニューイヤー編〜』は着々と情報量を増していった。
悪いが暗号には事欠かない蓬莱の生まれなので、書き付けをしても全く内容を知られる心配がない。
今までどんなに蓬莱の文化を忘れてしまっても、文字だけは忘れぬようにしていて本当に良かった、と陽子は思った。

陽子はニヤリと笑みを浮かべながら朱色の墨を擦っていた。

あの後、試すように言った間違いの一言に返された官吏たちの言葉、絶対に忘れない。
王は間違いが許されず、いつ何時も泰然としていなければならない……それなのにこうした間違いをして許せぬと思う気持ちも分からなくはない。
しかし、不慣れな新王の心を崖から突き落とすように辛辣な言葉もあった。
その場を満たす笑い声には隠しきれぬ嘲笑が見えた。
(というかそもそも彼らに隠す気があるかが疑問だったが)

ニヤニヤと笑いながら墨を擦る陽子に、背後に立つ半身は呆れてため息をついた。





「信」に返される「嘲」



笑みをながら、しかし陽子の心は暗く曇っていく。

思い出すのは遠い過去の自分。

今ならば笑みで交わせる彼らの嘲りにも、当時は相当堪えていたと思う。
知らぬ世界に飛び込んで、いきなり政の場に立たされた者への配慮など一切無かった。
むしろそれを好機と、己を傀儡にしようとしていたのだから当たり前なのだが。

まだ、戦いは始まったばかりだ。

陽子は筆を握る手にそっと力を込めた。






表面上気弱・内心鬼子母神の陽子 vs 慶の反抗期官吏の戦いは(誰も知らない内に)始まっています。
……というか、話が進まない……。





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