「無理です」

禽医師は畏れも遠慮も一切無く、すっぱりキッパリと言いはなった。

「確かに彼らの昏倒理由は脳の麻痺かもしれませんが、酔い覚ましを飲ませたからと言って目を覚ますことは無いでしょう。そもそも酔い覚ましとは酒精を分解するのを促進させる薬でございます。彼らが倒れた理由は酒精による脳の麻痺ではございません。ですので、酔い覚ましでは彼らの脳の麻痺は治らぬでしょう」

ガビーン!!

ガーン ガーン ガーン

聞こえぬはずの心理音が辺りに響き渡った。
まずは喜びに満ちあふれた表情だった陽子が絶望に染まった顔で手足を付き、それに合わせるようにその場にいた全員がどんよりと顔を曇らせた。
その中でも、禽医師だけはいつもと変わらぬ笑みを浮かべて普通に立っている。
(本当、何者なんだ禽医師)

「しかしまぁ、脳の麻痺が原因かもしれぬと分かっただけでも前進でございますよ。主上、良い報告をありがとうございました」

「い、いや……役に立てたなら……嬉しいよ」

陽子はズドーンと闇を背負ったままその場に座り込んでいた。
仕事を寄こせと(本当は言いたくないが)言ってくる官吏たちを振り切り、こうして自ら特大吉報を携えてきたのに。
結果は小吉報だったのだ……落ち込むのも無理はない。
完全に『コレであとは彼らの目覚めまで頑張れば私は解放される……!』と思い込んでいた陽子はドンゾコまで落ち込んだ。
しかし陽子にはそんな落ち込んでいる暇すらなかったのだ。

「主上、あの……」

戸惑うように主に目を向けているのは、仁重殿からついてきた官吏たちだ。
一度は主を見失ったが(陽子の移動速度が速すぎた。日々逃走で鍛えているから)目的の場所を知っていたのでついてきたらしい。
陽子が喜びいっぱいに禽医師に語っている間に追いついていた。

落ち込む主を目の前にして言いたくない。
言いたくないが、言わなければ進まない。
進まなければそのまま慶は破滅ロードへ。

そんな複雑な心境ながらも、官吏たちだって陽子の奇行にならされた強者揃いだ。

「主上、ご指示を賜りたく存じます」

「……」

「主上、しっかりなさって下さい。今頼れるのは、主上だけなのです」

じとーっと見つめてくる陽子に、しかし官吏たちも己を奮い立たせて言葉を続けた。
だって、目の前には眠りの中で苦しみに悶える慶のお偉いさんたちが転がっているのだ。
本当に、今頼れるのはしっかりと目を開けている王しかいないのである。
しかしそれでも、陽子の死んだ魚のような目に光は灯らなかった。

「……頼む、半刻……半刻でいい。私に時間をくれ……」

陽子はどこからともなく分厚い紙の束を取り出すと、パタリと意識を失った。
誰の止める間もない、スピード睡眠だった。

「しゅ、主上!?」

「あ、こ、これは……!!」

「な、なんと……!!」

驚きに騒ぐ官吏たちだったが、渡された紙束に目を通してさらに驚いた。
そこにはこれからの指示がズラーっと書いてあったからだ。

なんと準備がいいことなのか、もしやこんな事態の予想していたのか。
先ほどの俊足の走りは、この紙束を隠し持ちながらしていたのか!

官吏たちの驚きを外に、陽子はスピーと眠っていた。
いい加減、陽子の心理状態も限界にきていたようである。
官吏たちは慌ててその紙束を抱え、外殿に向かって走り去っていった。

一部始終を笑みのまま眺めていた禽医師は、ひょいっと陽子を抱え上げるとすでに準備されていた臥牀にゆっくりと下ろした。
陽子は気付かなかったようだが、たった一つだけこの場に臥牀が用意されていた。
昏倒者の誰かを寝かせるのではなく、ずっと空けたままだったこの場。
それを、どの女官も不思議に思っていたのだが。

「禽医師、こうなると分かっておいでだったのですか?」

「いやぁ、そんなことはありませんぞ」

「主上の指示には『臥牀を用意する』とはありませんでした。禽医師が用意させたのでしょう?」

確信の表情で聞いてくる祥瓊と鈴に、禽医師はゆるやかな笑みを浮かべている。

「さすがの主上と言えど休息は必要でございましょう。しかし責任感の強い主上なら執務室でお倒れになることはなく、もしあるとすれば寝具に囲まれたこの場所くらいだと思い至っただけのこと。まさか本当に主上がお眠りになるとは予想外でしたよ、いやー驚きました。」

そんな驚きの欠片も見えない表情で言われても。

祥瓊と鈴は諦めた。
そもそも禽医師の本心を探ろうとすることは、戦場の中を目を瞑って全力疾走するくらい危険なことだ。

まぁ、陽子がゆっくりと休めるならいっか。

そうして疲労の濃い顔で眠る陽子に、優しい笑みを向けた。




















闇の中、陽子はゆっくりと目を開けた。
自分が黒い玉の中に浮いているかのように、一面の漆黒である。
右も黒い、左も黒い、前も後ろも上も下も、ちょっと捻って右斜め下も闇である。


んー?
私は確か、眠ったはずだが……
確か、指示を出しながらこそこそと書きためていた新たな任務を渡して。
ああ、これでHP回復のためのアイテムは使い切ったな……。


陽子はため息をついた。
次に目覚めたら、またあの同時進行問題処理・高速指示一斉射撃をしなければならないと思うと憂鬱だ。
(脅威の十六文字熟語)
せめて夢の中ではゆっくりしよう、とぼーっとしていた。


あー……浩瀚たちは無事目覚めてくれるのかな……
まさか王気を光らせたせいで、こんなことになるなんて……
我ながら落ち込む……


陽子の雰囲気は、周りの闇に負けないほど暗かった。
一人になってゆっくり考えると、なんて馬鹿なことをしたんだろうと思う。
今まで指示や対策のことで考えるのを止めていたが、そもそもこの事態の原因は陽子のせいなのだから。
陽子は胎児のように身体を丸め、その場にころんと寝転がった。
(地面の感覚はないが、気分的に横になりたかった)


ああ、みんなが目覚めなかったらどうしよう……

ていうか景麒があのままだったらどうしよう!!!
イヤだー!! イヤだー!! 
あんな景麒なんて景麒じゃないぃぃいいい!!
『たまには慈愛の微笑くらいして見せろこの刃獣が(お前の無表情は刃のように心に突き刺さるんだよ)』
とか酷い言葉を心の中で呟いて悪かったー!!
お願い景麒、戻ってきてー! 私はお前の無表情、嫌いじゃないよぉー!!!


よっぽど陽子の心に、景麒の痴態(笑)が傷となっているようだ。
(笑えるのは他人事だからだ当事者になってみろコノヤロー!!)(陽子、心の声)
陽子は頭を抱えてゴロゴロとその場を転がり回った(末期)



「――、――! ―― ――ん」



「……ん?」

陽子は転がるのを止め、じっとその場に静止した。
(しかし体勢はそのまま)

何か、何かが聞こえた気がする。

陽子はゆっくりと静かに立ち上がり、キョロキョロと辺りを見渡した。
そしてしばらくそうしていると、不意に目の前の闇がどろりと揺れたような気がした。





「あ、見つけたー!!」





言葉とともに表れたのは、豪奢な衣装に身を包む美麗な少年。
少しずつ闇の中から浮かび上がり、ゆっくりとその身を露わにしていっている。
キラキラと光り輝く衣装に目を細めながら、陽子は驚きの表情で呟いた。

「あ、君は……」

「酷い、僕のこと忘れたの?」

「いや、そんなことないよ!」

悲しそうにこちらを見つめてくる少年に、陽子は慌てて声を上げた。

「久しぶりだな、テンちゃん」

「そうだね、陽ちゃん!」

そう、その少年は過去の夢にも現れた。
執務中に思い出していた夢に登場した少年−テン−だった。





   


書いた後に『あれ、酔い覚ましじゃ無理じゃない?』と思って禽医師に代弁してもらいました〜
というより、書き直すのが面倒だったという話ですが……
なぜ稟医師はこのことに気付かなかったのか?もちろんそれは直前の衝撃映像のせいで脳の回転が鈍っていたからです☆笑
黄医として共にいることの多い景麒の痴態は相当堪えたみたいですよ〜稟医師は普通の感性を持ってますから。