「本当に久しぶりだね、テンちゃん。前に合ったのは数年前だったもんな」
「え、う、うん。そうだね」
「?」
テンは一瞬狼狽えてどもっていた様だが、陽子はあえて指摘しなかった。
何か変なこと言ったかな?と思ったが。
「ねぇ、陽ちゃん。王気を光らせることは出来た?」
「あ、そうだ! 実はテンちゃんと会った後、すぐに出来るようになったんだ! だから、いつかまた会えたらお礼を言おうと思っていた。ありがとう、テンちゃん」
もしかしたら、成功間近に見せた己自身の幻想なのかもしれないと思ったこともある。
しかしそれでも『テン』という人格にお礼を言いたいと思った気持ちに嘘はない。
たとえ夢であろうと、心底感謝の気持ちを抱いたのだから。
陽子の言葉に、テンはもの凄く嬉しそうな表情を浮かべた。
(久々の笑顔攻撃に、陽子は一瞬意識が飛びそうになった)
「どういたしまして!」
なにやら辺りの闇がふわふわと柔らかいものに変化しているような気がする。
今まで冷たくも暖かくも感じなかった闇に、緩やかに熱が灯っているような……。
陽子がテンに笑みを向けながら闇の様子を窺っていると、テンが不意に笑顔を曇らせた。
「その、それで……どうだった?」
「ん? ああ、実は……人に見せたら、皆が倒れてしまった」
しゅーんと落ち込む陽子に、テンは焦ったように視線をうろうろさせた。
何かを言おうとして口を開け、しかし迷ったように口を閉じ、陽子も目にしてまた焦る……という繰り返しだ。
陽子はパタパタと動く衣装を目にし、視線を上げた。
そして動揺しているテンを見て、優しい笑みを浮かべた。
(テンが慰めようとして焦っているのを感じて)
「ごめんね、テンちゃん。久し振りに会ったのにこんな話をして」
「う、ううん。僕が聞いたんだもん。……ねぇ、陽ちゃん。倒れた人たちはどんな様子なの?」
「うーん。みんな苦しそうな表情で魘されていたよ。景麒は一度目覚めたんだが、……、……、まぁ、あまり無事とは言えない様子だった」
陽子は遠い目をしていた。
景麒の様子は無事とは言い難い……むしろこちらに大ダメージだった。
そんな陽子を見つめながら、テンは難しい顔をしていた。
「無事とは言えない様子?」
「あー……黄医が言うには、どうやら酔っ払っているような症状らしい。強力な王気を浴びたせいで、脳が麻痺しているのかもしれないと言っていた」
「そっか……」
「おそらく、他の者たちも脳が麻痺しているのだと思う。だけどどうすれば治るのか皆目検討もつかない」
陽子はため息と共に少し俯いた。
言葉にして説明していると、改めてこの状況がどれほど危険か思い知らされる。
倒れているのは慶を支える高官ばかり、そしてその解決策は闇の中。
全くもって恐ろしい状況である。
「……ねぇ、陽ちゃん。慶には宝重があったんじゃないの?」
「ああ、碧双珠のことか。それも一度試してみたんだが、意識を回復させることは出来なかった。苦しみは少しばかり取り除けたみたいだが」
碧双珠を当てても、彼らの苦しみの表情を和らげるだけだった。
意識を取り戻す者はおらず、とりあえず交代で彼らに当てるように言ってあった。
少しでも、苦しみだけでも取り除いてあげられるように。
「んーそっか……」
「そうなんだ……」
今度は2人してどんよりと落ち込んだ空気を出した。
しばしそうして佇んでいた2人だったが、テンがいきなり顔を上げた。
そして笑みを浮かべて陽子を見つめた。
「じゃあ、こうしよう!」
「?」
「きっと、碧双珠の力が弱かったんだ。陽ちゃんが呪文を唱えれば、碧双珠はもっともっと頑張って、倒れた人たちを助けてくれるよ!」
「そ、そうかな?」
「うん! きっとそうだよ!」
『きっと』と言うわりには、テンは自信満々な様子である。
こうしようってどういう意味だ?と陽子は思いつつも、喜びに満たされるテンに反論は出来なかった。
むしろ、なんだか本当にそんな気がしてきた。
(可愛い子には弱い)
「そうか〜。どんな呪文を唱えればいいかな?」
「んー……陽ちゃんが『これぞ呪文!』と思う言葉でいいんじゃないかな?」
「呪文、呪文……よし、分かった! 起きたらやってみるよ」
「うん!」
先ほどまでの暗い雰囲気を消し、陽子もテンもにこにこと微笑みあった。
そうしていると、まるでタイミングを計ったかのように闇が薄れてきた。
陽子は己が少しずつ闇から離れ、意識が遠のくのを感じた。
その時、最後にもう一度しっかりとテンを見ようと、目に力を込めた。
目の前のテンは、全く子どもらしくない慈愛の笑みを浮かべていた。
(今までの会話の中で見たことがない、内心の見えぬ緩やかな微笑)
「またね、陽ちゃん」
ああ、またな、テンちゃん
言葉が音になる前に、陽子の意識は途絶えた。
パチリ
目の前に見えるのは、見慣れぬ天井。
いつもの目覚めに見える天井ではないことに一瞬驚きを感じたが、すぐに状況を把握した。
「ああ、お目覚めになられましたか」
近くにいた鈴が優しく声をかけた。
陽子はのろのろと視線を動かし、声の人物に目を向ける。
しかし、鈴がその手に碧双珠を持っているのを目にして、陽子は唐突に身を起こした。
「そうだ、呪文!!」
「? どうかなさい――」
「ちょっとソレ借りるよ!」
陽子は今まで眠っていたとは思えぬ動きで臥牀を飛び出した。
その手には鈴から奪い取った碧双珠が握られている。
「ちょ、陽……主上!?」
鈴の焦りの声に、部屋中の人間が振り向いた。
倒れた者たちの汗を拭いたり、額に濡れ布巾を乗せたりしていた女官たちの手も止まっている。
部屋の中で書物を読んでいた禽医師もすぐに顔を上げた。
(もちろん医学書だ。さすがにこの状況で趣味に走るほど彼も鬼畜ではない)
陽子は一番近くにいた浩瀚のそばに膝をつくと、そっとその額に碧双珠を押し当てた。
「主上、そのようなことは私どもが――」
ちちんぷいぷいーーー!!!!
突然陽子は叫んだ。
碧双珠を押し当てる右手はそのままに、左手はピーンと人差し指を立てて天を指さしている。
「……は?」
陽子に声をかけかけていた鈴はポカンとして固まった。
しかしそれは鈴に限らず女官たち全員に言えることで、何人かは手に持った布をポトリと落とした。
禽医師も珍しく呆気に取られたように目を丸め、書物を持つ手から力が抜けた。
バサリ
禽医師の手から滑り落ちた書物が床に落ちた音が妙に辺りに響いた。
その音に我に返ったのは、陽子から少し離れた場所にいる祥瓊だった。
(浮かべた表情が『この子大丈夫かしら疲労で壊れてしまったんじゃ!?』と言っている)
「し、主上? 何をなさって――」
「――っう」
「「「!!?」」」
小さく聞こえてきたうめき声に、固まっていた者たちは一斉に視線を下に下げた。
今まで呆然と奇行に走る主(まぁいつものことなのだが)を見つめていたが、声はその下から聞こえてきたのだ。
まさか、聞こえるはずのないと思った人物から。
陽子の持つ碧双珠はいつもと変わらぬ青白い光を放っている。
しかしよく見ると、その光は常よりも強く輝いているように見えた。
「っ、こ、ここ、は……」
「ああ、浩瀚!! 目が覚めたのか……!!」
掠れて聞き取りにくい声を出した浩瀚に、陽子は喜びに満ちた声を上げた。
いつもいつも飽きるほど聞いている声だが、今この時ほどその声に喜びを感じたことはなかった。
歓喜に満ち、泣きそうな表情でこちらを見てくる陽子に、浩瀚は不思議そうな目を向けた。
「しゅ、じょう……こ、れは……」
「浩瀚、無理はするな。一度眠るといい……疲れているだろうから」
「い、え……しゅ……、……」
そっと目を覆われた浩瀚は、それでも意識を保とうと賢明に力を入れていた。
しかし、身体の疲労に加え、暖かく優しい手で視界を遮り闇に包まれたことで、ゆっくりと意識を失っていった。
浩瀚が再び眠りについたのを感じた陽子は、衝撃を与えぬようにゆっくり手を離した。
眠る浩瀚の顔に今までのように苦悶の表情は無く、安らかな表情を浮かべていた。
「主上……」
禽医師はいつの間にかそばにきて浩瀚の様子を見ていた。
そして、浩瀚が再び眠ったのを見ると、問いかけるように陽子に声をかけた。
「これで皆も目を覚ますだろう。再び眠りに着いた者は、自然と目を覚ますまでゆっくりさせてやってほしい」
「……分かりました。治療は、主上自らなさるのですか?」
「ああ。これくらいはさせてくれ」
「そうですか」
禽医師の疑問を感じつつ、陽子はそれに答えなかった。
今はそれどころではないし、それに己自身も説明の仕様がなかった。
禽医師に陽子の意志は伝わったのだろう、すぐにまたいつもと変わらぬ笑みを浮かべた。
事態を解決に導く出来事に、女官たちはみな嬉しそうな表情をしていた。
これまで手当てをしてきたが、手当てと称していても何も出来なかったのだ。
苦しみに喘ぐ者を見て何も出来ぬなど、こちらも苦しくて仕方がなかった。
それがやっと終わり、彼らが目覚めると知って誰もが喜んだ。
「よーっし!! いくぞ、碧双珠!!」
陽子はその場に立ち上がり、右手を天に突き上げた。
この場で(むしろ世界で)彼らの目覚めを一番喜んでいるのは、もちろん陽子だった。
テンちゃんの動揺にはもちろん理由がありますが、ここでは明記しません。想像してみて下さい。
まさか『これぞ呪文!』が『ちちんぷいぷい』とは……いや、陽子の世代ならアリっつーことで☆
これは呪文というよりおまじないですけど、使い方としては正しくないですか?
怪我した子に『ちちんぷいぷい、痛いの痛いのお空に飛んでいけ〜』ていうのがメジャーらしいので、倒れた人間の治療にも使えるはず!笑
そして禽医師の動揺を引き出せるのは、陽子しかいません。
彼の人生の中で、もっとも面白い人物として陽子は認定されています。