突然金波宮を襲った大事件に、官吏たちは一瞬意識が遠のくのを感じた。
しかし今心の安定のために自分たちが倒れてしまえば、それこそ金波宮全体が共倒れの危機に陥るということにすぐに気付いた。
倒れそうになる心境を必死に押し隠し、平静を保ちながら(でもやっぱり倒れてーなチクショウと思いつつ)知らせを持ってきた下官の話に耳を傾けた。
「……それは、誠か」
「は、はい……。朝議の間にて、主上以外の列席者の方々が皆昏倒なさいました……!! 現在は主上の指示により一時的に掌客殿へと運び込まれてらっしゃるようで……」
「……主上以外の方々、全員か?」
「はい。中でも台補の病状が思わしくなく、失道とは異なる風邪のような症状が……」
「失礼致します!! 主上により勅命が下されました。各官府の次席の者が長の代わりを務め常と変わらぬ執務をこなせ、不備不測の際はすぐに報告をせよ、との命です」
「……」
「昏倒者の病状は未だ不明で、いつお目覚めになるか分からぬと瘍医が申しておりました。それまで国の大事を民に悟られぬよう……小宰!?」
「おおおおおお待ち下さい小宰ィィ!! 今貴方に倒れられたら天官府が……金波宮が立ちゆかなくなりますぅぅぅうううう!!!!」
フラリと蹌踉めくこの場の最高責任者(暫定)を見て真っ青になった下官は、上下関係の垣根を一足飛びに飛び越え上司の身体をガクガクと全力で揺さぶった。
ちなみにコレは天官府に限らず、この瞬間の金波宮全体で見られた光景である。
ナンバー2は頭を抱えてトップと同じ場所に逝きたく……いや、行きたくなったが、それをそれぞれ伝令を運んだ下官にもの凄く必死に止められていた。
この下官らは主上直属勅令伝達隊であり、火急の際は礼も口上も省略してもいいという特権が与えられると同時に度重なる奇想天外勅令の被害を一身に受けていた。
そのせいで金波宮でも選り抜きの強者揃いであるとのもっぱらの噂だ。
(むしろ新人教育のタメに放り込まれた者数知れず)
もちろん傍で聞いてしまったナンバー3以下は止める者もいなかったのでパタリと意識を失い、後に復活したナンバー2に締め上げられることで覚醒することになる。
お前だけ楽させるかァァアアアア!!という国府では聞こえるはずのない悲痛な叫びがこの日の金波宮には木霊していた。
「まさか、こんなことになるとは……!!」
陽子は高速で手を動かしながら呻いた。
場所は掌客殿の一室であり、その場にはすでに乱雑に重ねられた紙の束が出来ていた。
朝議の間にて『返事がないただの屍のようだ』状態になってしまった皆を目にして現実を受け入れた瞬間、陽子の戦いは始まった。
信じたくもないが、倒れているのは皆慶を代表する官吏たちなのだ。
むやみに現実逃避に走って時を浪費すれば、国に大傷がつくほどの一大事となる。
(それもありえる最高の人選をされた昏倒だった)(そんな最高イヤだ)
原因も理由もひとまず置いておき、とにかく現実の歯車に支障が出ないように立ち回る必要があった。
「主上」
「ああ、入れ。礼も口上も必要ない、結果は?」
「それが……分かりません」
「……いつ目覚めるかは?」
「それも、残念ながら……」
扉口で心底申し訳なさそうに謝っているのは、金波宮に勤める瘍医の一人。
これまで昏倒者の診察していたので、その結果を伝えに来たのだが、内容は芳しくないものだった。
しかしこれも予想の内。
倒れた原因が自分であり、理由が王気の視覚化だとすれば考えられることだ。
その事への後悔も懺悔も全て後回しにして、ただ脳内に描くのは『指示』のことばかりに努めている。
(それでも一人になると無意識に呻いてしまったのだが)
「お前はどうみた?」
「明確な症状は出ておりません。病気や怪我というよりは、眠っているという状態が正しいかと思われます。しかしこちらの問いかけには全く答えが無く、昏睡状態というのが一番当てはまります」
「そうか……。先に戻っておいてくれ、私も後から行く」
「はい」
瘍医が扉の外に消えると、陽子が紙面をあれこれ整頓し始めた。
そうしていくつかの束が出来たところで、新たな人影が現れた。
「主上、各官府への伝達は滞りなく済みましてございます」
「そうか、ありがとう。立て続けにすまないが、こちらの書面を頼む」
「はい、確かに」
下官が受け取るのを確認した後、陽子は颯爽とした足取りで部屋を後にした。
向かう先は臨時保健室(仮名)である。
その部屋は異様な空気に満ちていた。
掌客殿の中でも広めの一室に所狭しと寝具が並べられ、ズラーっと人が転がっているのだ。
もちろん寝台を運び込む暇なんてなかったのでみんなして雑魚寝。どこの野戦病棟なのかと言いたくなる。
しかもその表情は苦悶に満ちており、悪夢に魘されていることが一目で分かるのだ。そんな人間が並んで眠っている光景は不気味な恐ろしさがあった。
さすがに現在は使用されていないとはいえ掌客殿はお客様のための建物なので乱用は控えたい。金波宮の医療関係者全員を動員しても昏倒者全員に人員を割くのは無理だし監督がしやすように。という様々な理由のもと、昏倒者を一纏めにしてあったのだが。
「……これは酷い」
思わず声が漏れた。
ここに横たわっている者たちは、怜悧仮面、微笑み仮面、顰めっつら仮面を普段から常備しているような強者ばかりである。
それがここまで表情を変えるなんて、どれほどの苦しみを味わっているのだろうか。
彼らのこんな表情なんて、初めて見るような気が……アレ?
そうだ、彼らがここまで表情を変えたところなど初めて見る。
……んんん? もしかしてこれはチャンスなのか?
今の内に脳裏に焼き付けておいて……いや、せっかくだから写真……は無いから絵師に……イヤイヤ一般人にこの事態を知らせるわけには……でも今を逃すと……いつもはあんなに飄々としているのに……私が色々イロイロ言っても涼しい顔をしているか、笑顔で交わす者たちばかりでいつも歯がゆい思いを……それがこんなに……ウフフ
「陽子!? なに嬉しそうな顔してるのよ!!」
「あ、ああ、鈴か」
突然、甲高い声が思考に割り込んできた。
陽子はすぐにその方向を振り向くと、キラキラとした笑顔を浮かべた。
(目の前にいる鈴は焦燥の表情を浮かべているのだが)
「だってコレは千載一遇のチャンスかもしれないじゃないか! 私は浩瀚がこんなに苦しみに悶える表情は見たことが――」
「それ以上仰るならコレを落としますよ、主上」
「祥瓊!」
「祥瓊!? ……、すみませんでした」
大きな壺を持ち上げてマジな顔をしていた祥瓊に、陽子は素直に謝った。
彼女はヤルと言ったらヤル女だ。
しかも持ち上げられている壺は普通の女官なら3人がかりで運びそうなほど重量感のある大きなモノだった(祥瓊怪力伝説)
「分かって頂けて何よりでございます。……全く。そうして悠然と構えてらっしゃることは悪いことではございませんが、時と場所と状況をお考え下さい」
「そ、そうですよ、主上! もう!」
壺を下ろして静かに語る祥瓊の様子に、鈴もハッとした表情を浮かべて陽子にまくし立てた。
先ほどまであまりの事態に焦って口調を整えることを忘れていたが、こうした公用の場では主従関係を崩すような言葉遣いは避けた方が良い。
と、いうことを祥瓊の様子から思い出したようである。
しかしそれでも焦りが出てしまって、取り繕うのにも綻びがあるようだが。
2人の厳しい表情に、陽子も心底すまなさそうな表情を浮かべた。
「悪かったよ。指示も一段落ついたから、少し気持ちを緩めてしまったみたいだ」
「主上、お話中申し訳ありません。詳しいお話を伺っても宜しいですか」
「ああ、待たせて済まなかった」
「主上、私も共に拝聴しても宜しいですか」
「私もお願いします」
「構わないよ」
陽子はさっそく瘍医に向かって口を開きかけた。
しかしそれを抜群のタイミングで祥瓊が遮った。
「お茶の用意が出来ておりますので、隣室にてお話をされては如何ですか」
「祥瓊、今はそんな暇は……」
「先ほど夢想に走る時間がおありのようでしたので、構わないでしょう?」
「それに主上にはこれからさらに奔走して頂くことになるでしょうから、ここで一息着いて英気を養って頂かなくては」
純粋な笑みで遠回しに嫌みを言う祥瓊と、復活して己を取り戻したらしい鈴の力強い微笑みに反論を遮られた陽子は隣室に移動した。
女史と女御は今日も強かった。
もちろん瘍医も笑みを浮かべながら彼女たちの後に続いていった。