『あ、あの……主上? 一体何を……』
「いいか、驃騎。このことは私たちだけの秘密だぞ」
『秘密でございますか? しかし……』
「勅命」
『…………御意』
珍しく口ごもった様子で言い返していた驃騎だが、これもまた珍しく己の意見を貫き通すための魔法の呪文を振りかざした陽子の言葉の前にあえなく沈黙した。
上下関係を超えて他の者と対等に接することを好む慶の女王が『勅命』を使うことは多くはない。
が、それを使う時には何かが起こる……というのが臣下一同がひっそりと囁き合う事実である。
そして今、誰も知らぬ場所でこーっそりと新たな『勅命』が下された。
そのことを知るのは、ここ最近妙に主上付きの多くなっていた驃騎だけだった。
もちろん、彼が主上付きになった原因は、主上自身が望んだせいであるのだが。
「よし。早く皆の驚く顔が見られるように、修練に励むとしよう!」
『……』
すみません、台補。
主上が『勅命』を使用されたらすぐに報告するという任、果たせそうもありません。
そもそも『誰にも言わぬように』ということが『勅命』として下されてしまえば、私どもは逆らうことは出来ないのです。
台補、主上は私たちよりも数枚上手でございました。
せめて、台補が主上のなさることにあまり驚かれぬことを願っております。
……それも難しいかもしれませんが。
では、せめて……台補がこのことをお知りになる日が遠くなりますように……むしろその日が訪れぬことを祈っておりましょう。
「なぁ、驃騎。これはどうだ?」
『……宜しいかと存じますが、もう少し重心を後ろに移動なさいますとなお良いかと』
「おお、本当だ! ありがとう!」
『いえ。お役に立てたのなら光栄です』
改めてすみません、台補。
台補の身を案じる気持ちに嘘はございませんが、主上のお役に立ちたいと思うこの心偽ることは出来ません。
目の前で必死に修練に励む主上のお姿を拝見して、それが実らぬことを祈るなど私には無理でございました。
やはり、台補があまり驚かれぬことだけを願っております。
……でも、それも実らぬ願いかもしれませんが。
驃騎の見守る中、陽子は修練に励んだ。
それはここ最近、王が一人で部屋にいる時見られる光景だったが、不幸にもそれを知っている者は誰もいなかった。
今現在、金波宮では祭典の準備にてんてこ舞いだった。
当極直後は「懐達」という言葉が流布しているほど女王に対する期待は小さかったが、今ではその言葉を知る者のほうが少ない。
すでに景王赤子が慶を治めて数百年の時が過ぎ、この度の祭典もそれを祝う盛大なものが予定されていた。
「そして、予定されている広場にて、市民の前で主上のお言葉を賜りたく存じます」
「ああ、浩瀚。そのことで私に考えがあるんだ」
「はい、何でございますか?」
この場は、高官の居並ぶ朝議の間。
祭典の流れを説明していた浩瀚に、陽子が壇上から声をかけた。
「実はこの前他国の祭典を見てきたんだ。その時もある広場でお偉いさんが声をかけていたんだが……」
「……主上、それはもしやお忍びで見に行かれたのでは……」
「あー、それは置いておいてだな」
うちの王、またお忍びでどこかに出かけたのか……
高官たちの心の声は完全に一致した。
数百年かけて整えられた慶の王朝は、すでに完全に陽子色に染められている。
王がこうしてお忍びで出かけることは珍しくなく、高官の中でそれを知らぬ者はいなかった。
皆『またか……』と呆れてはいても、それが王が民を知るために必要な行為だと受け入れているので五月蠅く避難したりはしない。
ただ、護衛だけはしっかりお付けしてくださいと何度も注意することは忘れないが。
高官たちの呆れ混じりの視線を受けようが、陽子は知らぬ存ぜぬを貫き通してさらに口を開いた。
「その祭典はけっこうな数の人が集まっていてな、私からは話す人間の姿が遠目にしか見えなかった。それでも確かに、日頃目にすることのない雲の上の存在を目にした民には喜びの声が上がっていた。だが、どうせならもっとしっかりと目にして欲しいと思わないか? 先ほど名の上がった広場は慶でも民の収容人数は多い方だな。しかしそれでは民の目に私の姿は米粒ほどにしか見えない」
「しかし……主上が民の一人一人と顔を合わせる訳にはいきません」
「そのような時間をとることは不可能でございます」
「米粒とはいえ主上のお姿を拝見出来ること、それ事態がすでに光栄なことでありましょう」
高官たちはそれぞれ思ったことを発言していった。
陽子の憂慮を取り除きたいと思うと同時に、『またこの王は何か突拍子もないことを思いつかれたに違いない』という小さな恐れのためだったりする。
この数百年、この王の想定外過ぎる発想に振り回されながら慶は発展してきたのである。
(それでもその発想が実を結んで大きな成果になることも多かったのだが)
高官の中で王のトンデモ発案に悩まされなかった者などいなかった。
(むしろその荒波を乗り切ったからこそ、この場に座することが出来たのである)
「そこで私は考えた! たとえ米粒であろうとも、人の目に焼き付く登場方法を!!」
べ、別に人の目に焼き付く必要は無いのでは?
そう思ったのは浩瀚以下全ての官吏たち共通であろう。
しかし、キラキラと輝く笑顔と共に握り拳を振り上げた王の姿に、反論する言葉など無い。
彼らのやんわりとした否定の言葉を全てシャットアウト!して語り出した陽子は、誰が見ても目をしぱしぱしてしまいそうなほど陽気な輝きに満ちていた。
こんな様子の主を目にして、否定の言葉を言う?
ノンノン、そんな無粋なこと出来るわけ無いジャン! だって俺たち主上のこと大好きなんだぜ?
(意訳込み、高官たちの心の声)
浩瀚はすでにその怜悧な容貌に、常に見られぬにこやかな笑みを浮かべて主を見上げている。
左将軍としてその場に居た桓タイも『全くこの主は……』という呆れた表情をしつつも、目に宿る暖かな光に変わりはない。
大師として常に陽子を見守っていた遠甫は、可愛い孫の次なる悪戯を眺めているように穏やかでありながら面白そうな目を向けている。
夕暉や蘭桂も他の高官たちも、柔らかい笑みを浮かべて陽子を見つめていた。
(彼らも各官府の長として、慶を支えています)
そして王の隣に立つ景麒も、すでに諦めきった表情で半身たる主の奇行を眺めていた。
生暖かい視線で見つめられていることに気付かず、陽子はその場に立ち上がった。
もちろん握り拳はそのままに、しっかりと身体の両脇に固定されている。
そしてニコー!と満面の笑みを浮かべると共に、力強い声で言いはなった。
「これぞ私が新たに生み出した技! スーパーミラクルケイオーヨーコスタイルだ!!」
ビカッ!!!
「これで離れた場所からでも私の姿が……、ん? あれ?」
意気揚々と話し始めた陽子の眼下には。
屍の如く意識を失った官吏たちが転がっていた。
「お、おい、みんな……どうしたんだ!?」
驚いた陽子は焦ったような声を上げた。
その身体には、見まごうことなくギラギラと輝く黄金色のオーラがまとわりついていた。
ちなみに一番近くで直視してしまった景麒も、顔を真っ赤に染めて目を丸めてその場に昏倒していた。