そしてとうとう、恵菜は跡部の方を向いた。 


「あ……」 
「……」


最初の衝撃から時間が経ち、余裕を取り戻した跡部はすでに無表情だった。
周りの人間は固唾を飲んで見守っている。
これまで全員被害を受けた。
その中で分かったことと言えば、彼女がなぜか誰かと間違えて話しかけているということだった。
しかし口調も表情も広間で会った時とは違って、随分親しげな様子だった。
瞳に浮かべるのは信頼、友愛、慈愛、尊敬といった向けられて嬉しくなるものばかりだった。
一体跡部にはどんな反応をするのか。
だれかがごくり、とつばを飲み込んだ音が聞こえた。 










「――景吾お兄ちゃん!!」 


「――え?」


彼女は他の誰かに見ているわけではない、自分自身を見ている。
彼女は満面の笑みを浮かべていた。
その笑顔は、近しく見ていないものだった。
あの笑顔は、小さい頃彼女が自分に向けていたものだった。 

ああ…… 

跡部の胸に暖かいものが浮かんできた。
本当はすでに秘密なんてどうでもよくなっていた。
ただ、昔は本当にその秘密が知りたくて知りたくて仕方がなかった。
何でも出来た自分。何でも得ることが出来た自分。
その中で彼女の秘密だけは全然分からなかった。
そして。
ムキになって探っている内に、彼女は離れていってしまっていた。
今ではそれをとてもとても後悔していた。
離れている内に、どう接していいのか分からなくなっていた。
無表情は仮面だった。己の本心を隠す仮面。
許しを請うことすら恐れている、己のための仮面だったのだ。

彼女が自分に向けて笑っている。

あの笑顔は、小さい頃彼女が自分に向けていたものだ。
そして、さっき見知らぬ誰かに向けていた笑顔と全く同じものだ。
むしろその瞳の中には、信頼も友愛も慈愛も尊敬も、全て含まれていた。
跡部は、胸が熱くなるのを感じていた。
これまで何かに恐れて口に出来なかった名前も、今なら出来る気がした。 





「恵菜……!!」 


「お兄ちゃん!!」 


離れた場所に立っていた恵菜は、跡部に向かって走り出した。
そして両手を大きく広げて跡部の逞しい首にしがみついた。
宙ぶらりんになってしまいそうな恵菜を、跡部は両手でしっかりと抱きしめた。
力強い両腕で支えられた恵菜は、跡部の首に回していた両手を離しそっと頬を包んだ。 


「恵菜……」 


「けいごおにいちゃん」 


恵菜は満開の笑顔を浮かべている。
跡部も釣られて嬉しそうに微笑んでいる。 



「だいすきだよ」 



たった一人の兄へ。
あちらでは得られなかった血の繋がった家族へ。
あちらでは姉を想ったように、こちらでは兄を想っているよ。
姉も兄もたった一人。

大好きだよ、お兄ちゃん 





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