「まさかあれは……!」 

「手塚ゾーンだ!!」




「手塚……」
「ゾーン……?」
「……」
「……」

すっと眼差しをそらした疾風は、すでにこの場から立ち去りたくなっていた。
他の3人の沈黙が恐ろしい。
しかしその疾風自身も、まさかの兄の必殺技?にちょっと現実逃避しかけていた。 

眼鏡が逆光していたな、凄いよ兄さん

心の中で呟いた。
(疾風が兄の逆光眼鏡を目撃したのはこれが初めてであった)
なぜか手塚ゾーンの素晴らしさを熱く語っている部員が近くにいたおかげで、その凄さは十分に伝わってきた。
しかし……

(手塚ゾーンって、もしかして自分で名付けたワケじゃないよね)

彼のネックはどうやら手塚ゾーンという名前にあるようだ。
しかし、部員たちは手塚ゾーン、手塚ゾーンと嬉しそうに口に出している。

まさか…… 

だんだん疾風は自身の兄がよく分からなくなりはじめていた。
悩める疾風を尻目に、妖華はどう反応していいのか思案していた。
実は日頃威厳のある手塚の意外な一面を見ずに済んだことに、ついさっきまで安堵していたのだが。
まさかここまできてこんなことになるとは思ってもいなかった。
先ほどの跡部の衝撃が強すぎて警戒を強めていたが、安堵したところを狙われるとは。
妖華はちょっぴり悔しそうだ。

「すごい……すごいよ、ルックのお兄さん!!」
「はは。そうだね」

そこに恵菜の感嘆の声が聞こえてきた。
恵菜は全身で嬉しそうな様子でそわそわとコートを見ている。
孔也はさっきまでは眠そうだった顔に笑いを滲ませてコートを見ている。
恵菜はあれが凄い、これが凄い、と今までの沈黙を埋めるかのように話し出した。
今までの恵菜の沈黙は感動によるものだったようだ。
名前に対する引っかかりはなく、素直に受け止めているのはさすが恵菜というところだ。
そして孔也はとりあえず名前のことは置いておいて、恵菜の相手をしている。
しかしそれでも時々堪えきれない笑いが出ているが。

「手塚ゾーンか、確かに凄いね。でも、誰が名前をつけたんだろう?」
「……あそこにいる頭の悪そうな部員の誰かなんじゃないの」

2人に触発されたのか、会話を始めた2人。 ずばりと皆が気になっている事実を指摘した妖華は、ニヤニヤと笑いながら疾風を見ている。
答える疾風は居心地悪そうにあらぬ方向に視線を投げた。
その時ふと、恵菜が賞賛の声を止めてじーっと手塚ゾーンを凝視した後、疾風のほうに目を向けた。
孔也は隣で不思議そうに恵菜を見つつも、恵菜の次の言葉を待っていた。

「ねえ、あれならルックにも出来そうじゃ――」
「! こら!」

無邪気な様子で恵菜が話しかけた。
その言葉が終わる前に、妖華が急いで恵菜の口を塞いだ。
青春学園のテニス部員に聞かれたら、憤慨されそうな台詞だ。
おそらくあそこで嬉しそうにゾーンの説明をしている少年を筆頭に、怒涛の勢いで批判されるだろう。
しかし幸運にもこの恵菜の無謀な発言は、どうやら周りの声援に隠れて聞こえなかったようだ。
妖華は安心して恵菜から手を離した。

「あ、ごめん。ありがとう、ティル」
「気をつけてね」
「……」
「……」

申し訳なさそうに謝る恵菜に、妖華は優しく微笑んだ。
ちなみに疾風と孔也も咄嗟に動いていたが、寸前で妖華が手を叩き落として妨害していた。
じとーっと見つめてくる疾風と孔也の2人に勝ち誇った笑みを向ける妖華。
3人の大人げない見つめ合いは続く。

「でね、手塚ゾーンってルックにも出来ると思うんだ」

今度はこそこそと小さな声で話してくる恵菜に、3人は睨み合いを中断した。
不機嫌そうな疾風は投げやりに返答した。
疾風には、マジで手塚ゾーンって何なんだコノヤロウ、というどこに向けていいのか分からない怒りも湧いてきていた。

「さっきのあの部員の説明聞いてなかったの?僕には無理だ」
「そうだね。名前はともかく、相当な技術がないと出来ないみたいだし」
「ルックの技術では……難しいよ」

妖華だけはまだ名前にこだわっている。
比較的一緒にいることが多い孔也は、疾風がテニスをしていた時のことを考えているらしい。
しかし恵菜は笑顔を崩す様子はない。

「これで、できそうじゃない?」

輝かんばかりの笑顔にのせて、恵菜は言い放った。
その手には、疾風の右手が握られ、皆の眼前まで高く持ち上げられていた。
疾風の右手の紋章が日の光を受けキラリと輝いた(ように見えた)

「なるほど」
「たしかに、これなら技術がなくても大丈夫だね」
「ね、出来そうだよね!?」
「……」

右手を持たれている疾風は不機嫌そうな顔つきをさらに歪めた。
確かに、風を操って全てのボールを自分のほうに引き寄せることは可能だろう。
しかし――何が悲しくて真の紋章をスポーツで使わなければならないのか。

はぁ……

ため息もこぼれるってもんだ。
悪態をつこうとした疾風を、図らずも遮るような形でさらに恵菜は言葉を発した。
それがこれからの喜劇的な悲劇の展開の幕開けだった。





「あ、でもこれはルックの技だから……ルックゾーンだね!!」



「ぶふっ!!!」

「ぷくすん!」

「…………!!!!」


突如遠慮なく吹き出した音と、笑いをかみ殺そうとして失敗した音が響いた。
そしてその一瞬後には大爆笑の二重奏が流れだした。
心の底からはき出すような笑い声は、聞いている者の心も楽しくなりそうなほどだった。
ただし、試合中でなければ。
試合を妨害しそうなほどの笑い声に、近くにいた観客は不満そうに声のするほうを見た。
試合中なので注意をしようと思ったのだが……

「……」

ゴゴゴゴゴゴ……!と音が聞こえてきそうな程の暗雲雷鳴強風が荒れ狂うようにその場には満ちていた。
じんわりと世界を侵食するかのように噴出している暗黒の空間の中央には一人の少年が俯いて佇んでいる。
爆笑する2人と闇を放出する疾風の傍で1人のほほんとしている恵菜は、周囲の変化を不思議そうに見ていた。

疾風も『手塚疾風』なのだから手塚ゾーンでもいいけど、それは疾風のお兄さんの技名だし。
ルックにしかできない風を使った技だからルックゾーンで合っていると思ったんだけど……何かおかしかったかな?

こんな時であろうとも、恵菜だけは平和だった。


「コ・ロ・ス」


疾風は顔を上げると、まるで地獄の底から響かせているのではないかと言うほどの恐ろしく低い声で言った。
うっかり目があった観客はピシっと固まった。 周りはどす黒いのに疾風の目だけがギラギラと獲物を狙う猛獣のように輝いていて、視線で人が殺せるならおそらくこの場の人間はすでに命はなかっただろう。
今夜は悪夢を見そうなほどの恐ろしさに、涙を浮かばせている観客もいた。
しかしそれでも爆笑を続ける2人は勇者だ。
恵菜はなぜ疾風がここまで激怒しているのか分からないが、笑う2人が楽しそうなので嬉しそうだ。
だが、本気で右手に膨大な魔力を込め始めた疾風に、慌てて2人は笑いを止めた。

「よ、よし、ルックのお兄さんも堪能できたことだし、次だ。次に行こう!」
「あ、そうだな。よーし、俺の兄貴を見にこい!」

妖華と孔也は、口端がひくついているのを必死に隠しながら話し出した。
でも微妙に言葉の内容も口調もおかしかった。
そんなことに構いもせずに、2人は未だに闇を纏い沈黙している疾風を引きずりながら移動を開始した。
本当にルックゾーンが放たれる前に、この場を離れなければいけなかった。
(込められていた魔力は、戦争時に兵団ひとつ完全破壊した時と並ぶほどだった……恐ろしい!!)
その場に残されたのは、うっかり疾風を直視してしまい涙目で固まった観客たちと、不自然に止まった試合のみ。
みなさま、ご愁傷様です。チーン










おまけ↓


「切り裂き!!」
「あ、ルックゾーンだ!」
「やばい、ルックゾーンが襲って来る!」
「ルックゾーンだって!?逃げないと」
「切り裂きって言ってるだろー!!!!」

この日から切り裂きはルックゾーンに改名して、皆に親しまれるようになりましたとさ。

(嘘)






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