※注意:シュウ登場イベント辺りのネタバレを含みます。
一目見た時は何も感じなかった。
商人としての存在を確立させていた自分にとって、交易に関すること以外は関心の対象外だった。
酷い言い方になるが、何も利用価値がない人間には興味を抱けず、何事であろうとも一つの情報として認識されることしかなかった。
妹弟子であるアップルが関係していること。
しかも、同盟軍に参加していること。
王国軍と同盟軍の諍いが表面化したこと。
商人にとって戦争は最大のビジネスであり、身の振り方を上手くすれば一気に財を増やすことが出来る。
結局はそんなことしか考えておらず、その日も今後のことを思案するだけだった。
妹弟子の頑固さと、話し合いの時の瞳の力強さを思えば、すぐに諦めるとは思っていなかった。
しかし、断る方法は数多く思い浮かんだし、酷く言い負かすことさえ(果ては同盟軍から手を引かせることも)考えていた。
たしかに、未来〈さき〉を視る者と自負しているだけあって『有り得ない未来』の予想をすることも欠かさなかったが、己が軍師としてつく可能性の低さは分かっていた。
万に一つ――そんな言葉がぴったり当てはまるように、その可能性は本当に小さかった。
しかし、その【万が一】が実現してしまった。
思考に囚われていたシュウは、不意に光を感じて意識を浮上させた。
そしてその光が柔らかな新緑を帯びていることに気付くと、すぐに手をあげて何かを握りしめた。
今までシュウに持たれていた書簡がパサリと机に落ちる音がした。
「……リオウ殿、今何をなさるつもりでしたか?」
「……」
シュウの鋭い視線から逃れるように、リオウはふらりと顔を背けた。
無表情は相変わらずだが、あいにくと濃い付き合いをしているシュウには、リオウの頬にうっすらと冷や汗が流れているのが見えた。
ついでに逃れようとして、手に力がこもっているのがよく分かる。
なぜなら、リオウの右手首をギッチリと握っているのがシュウだからである。
「リオウ殿。紋章の使用は控えて下さいと何度も申し上げたはずですが」
「……気力が」
「今日は気力があるからと言っても駄目です」
「……」
リオウはちらちらと部屋の中を見渡しているが、見慣れている部屋を見渡していては動揺していることがバレバレだった。
ただ今リオウとシュウがいる部屋は、2人が一日の大半を過ごす執務室であり、今日も2人揃って(ついでに副軍師2人や上位の文官の者たちも)書簡整理に明け暮れていたのだ。
今は部屋にリオウとシュウの2人しかいなかったが、もう少しすれば資料を探しに行ったアップルも、指示を出しに行ったクラウスも戻ってくるだろう。
特に珍しくもない軍主と軍師の2人きりの一時だった。
しかし、今回はシュウの机に山と積まれた書簡の中に親交のあった商人の物があり、シュウがしばし思考を深めていたのだ。
(そしてシュウにしては珍しく一つの思考に囚われていた)
ちなみに『気力があるから大丈夫』というリオウの意見は真実彼の本心であり、そのことで一度ナナミと論争を繰り広げたことがある。
(と言っても、言葉に出して騒ぐのはナナミだけで、リオウは単語での返答だったが)
それを目の前で見ていたシュウにとって、先ほどのリオウの言い分も分かるが絶対に頷けない一言だった。
そもそも自分は戦わないから実感として分からないが、紋章とは気力でどうにかなるものなのかは不明である。
ついでに言えば話題の紋章は世界に27しかない特上の紋章だったりするので、希少価値の高さと共に得体の知れ無さも折り紙付きだった。
たとえ気力でどうにかなるとしても、それが分からない内は危険であることは変わりないので、絶対に許すわけにはいかない。
もし許してしまえばこの少年は、きっといつも気力満タンのフリをして無理をすること請け合いだからである。
部屋を眺めること止めたリオウが、弱い光を宿した目を向けてくる。
それを見たシュウは諭すように声をかけた。
(懇願が微量に含まれていることは、シュウ本人すら気付いていない)
「そもそも私に使っていただく理由がありません。軍のための思うなら、無用な使用はお控えなさい」
「……」
「リオウ殿が倒れる時、同盟軍も共に滅ぶことになりましょう」
軍師という立場を貫くシュウが、リオウに対して命令口調を使うのは少ない。
だが、この問題に関してはシュウも譲れぬものがある。
軍主として立ち上がってからのリオウしか知らないからか、シュウの知る限りリオウにとって『軍のため』という言葉は何よりも重いはずだ。
(そうしてしまったことに小さく良心が痛むが)
過度のプレッシャーをかけることは本意ではないが、それでも――
不意に肩に重みを感じた。
「シュウ」
気付けば目の前に鮮やかに煌めく瞳があった。
瞳の中で生命の光が美しく輝く様は、これまで見てきたどんな美しい宝石にも勝っているように見える。
目の色自体はたいして珍しくもない薄茶色にも関わらず、宿す人間によってこうも輝きが異なるのはなぜだろうか。
問答の最中にじっくりと眺めていたことはあれど、こうして間近で見たのは初めてのことだ。
ただ、その美しさに感嘆しながら、得意の頭脳を使っても相応しい美辞麗句が浮かんでこないことが残念だった。
本当に感動した時、言葉が出ないというのはこのことをいう、の、か……
闇に閉ざされた視界の中で、いまだにあの瞳が輝いて見えた。
【万が一】の可能性を掴み取ったのは、一目見てすぐに興味を失った少年だった。
どこにでもいる様な子どもであり、軍の行く末を語るアップルのそばにいるには不思議な存在。
数回現れたアップルの背後に佇み、同じくアップルの側に立ち続けていた少女が盛大に喚くのとは反対に、ただ静かにこちらを見つめ続けていた。
真摯に言葉を重ねるアップルと、熱く声を吐き出す少女のそばで、ただ沈黙を纏い続けた。
しかし、一言だけ紡がれた言葉は耳に入り込み、輝く瞳を向けられて目が離せなくなった。
きっとその時。
その一瞬で囚われた。
何か大きなものを内包し、計り知れない謎を秘めているのに、『普通』で覆い隠している不思議な存在。
見た目は何の変哲もない少年でありながら、奥底に仕舞われた神秘を瞳からそっと覗かせる。
不意に見せた包み込むような雰囲気に、ただ戦慄を感じた。
最後の賭は、最後の抵抗。
これ以上この少年に引き込まれないように線引きし、不可思議な存在に飲み込まれないように危険を回避するために。
決して外れるはずのない策を用意し、本能が警鐘を鳴らす人間と関係を断ち切るつもりだった。
事実、策の裏側を見てしまった少女たちは諦観と絶望に襲われており、少年だけが最後まで手を動かし続けた。
きっと、少年もあの不思議な視線の中で見たはずなのに。
今なら分かる――少年は誰よりも動体視力に優れ、投げられた物体が『何』であったかなんてすぐに分かったはずだ。
【万が一】の可能性を掴み取ったのは、一言で何かを感じさせた少年だった。
少年の手の中に光るコインを見た時、奇しくも数瞬前に少女たちが感じていたように諦観を感じた。
逃れることが出来なかった、そんな思いで。
あるはずもない物に対する疑問より、何よりも目の前の少年と繋がりが出来てしまった……ということを考えた。
これからの事を考えながら手に取った、小さくて冷たい手。
(日頃から冷たいと感じていた自分の手よりもさらに冷たい、まさに凍り付く直前という小さな手を握って、自分の手にも血が通っていて温かい事に気付かされた)
そして少年の手には希望が宿り、少年の身は宿命に包まれている事を知った。
希望とは英雄の紋章のことであり、宿命とは英雄の子息であることだ。
少年自身の持つ深遠さには届かずとも、表層に持つものも大きく、『同盟軍として』の今後を考えていた自分にとって、重要な意味を持つものだった。
すでに今後を模索していた自分にとって、目の前の人物は利用価値の高い存在。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
策さえ下せるならそれで良く、どんな無能であっても軍を勝利に導く自信があった。
人を纏めるために多少のカリスマ性があれば良いとは思ったが、少年の持つ希望と宿命だけでも十分だった。
しかし、偶然か必然か。
少年は無能どころか大変優秀な人間で、多少どころか多大なカリスマ性を秘めた存在だった。
利用することに躊躇はない。最初に引き込んできたのは少年のほうだ。
こちらの回避を遮り、舞台上に引き上げたのは、彼が先。
己の心の奥底に『この人間になら頭を下げても良い』という思いがなかったとは言わなない。
しかし『彼のためだけに己の全てを』と望むことになるとは、思いもしなかった。
少年の名を、リオウと言った。
そしてその時、短い間とはいえ名も知らぬ少年に思考が乱されていたことに気付いた。
運命という鎖に囚われた星降りの夜
(白黒の世界に現れた強き光に逃れられず境界線を渡った)
いつの間にか、自分でも気付いていなかった、見ようとしなかった心の傷を癒されるなんて思ってもいなかった。
(自覚させられた傷はすでに癒されていたなんて、そんなこと)
名を知ったあの日の夜。
その時は、なによりも平静の自分自身を取り戻すのに必死だった。
まさか、夜空に瞬く満天の星空よりも、妖しく揺れ動く蛍の光よりも、初めて見たリオウの笑顔の方が美しいと感じてしまったなんて。
後に、それはリオウが本当に嬉しい時にしか見られない貴重な表情だと知った。
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