外は暗闇が支配していた。
すでに夜が更けてから時間が経っているので、日中は暖かい今の季節でもひんやりと空気が冷たい。
「今日は、戦いから兵士たちが帰ってきただろ?」
フリックが、先ほどまで騒々しかったとは思えないほど穏やかな顔をして話し出した。
「はい。私たちも含めて、本日凱旋致しました」
「……今回の戦には、死者も出たな」
「……はい。数名ではありますが」
フリックは一瞬言いにくそうな表情をしたが、しっかりと話した。
それに答えるカミューも一拍遅れて返答をした。
ビクトールとレオナは、説明をフリックに任せるように静かにその場に佇んでいる。
その瞳は、夜空に輝く星々に向けられている。
「そうした日は、みんな部屋で酒を飲むんだ」
「酒場に来るのは、こいつらみたいな物好きくらいさ」
「はは。そうだな」
フリックの言葉に、夜空を見ていたビクトールとレオナも視線をこの場に戻した。
2人とも可笑しそうに笑っている。
「それは、なぜ――」
〜♪〜〜〜♪♪
話し出したマイクロトフの言葉を遮るように、涼やかな音が響き渡った。
いや、音自体は今にも消えそうなほど儚く小さなものなのに、周りの空間にすーっと浸透してこの場にはらはらと降ってきているようだ。
音は、誰かの歌声だった。
言葉と言えるほど明確な音の羅列ではなく、まるで鳥の鳴き声にも聞こえる不思議な音で。
人の出し得ない高音や低音を組み合わせて、今までに聞いたことのない旋律を生み出している。
そして込められた感情が音からにじみ出るように感じられ、胸を締め付けた。
レクイエム
これは、鎮魂歌だ。
「こ、れは……」
「……いったい……?」
呆然としたように音に耳を傾けるカミューとマイクロトフ。
自身がこぼした言葉にも気が付かない様子で、音に、歌のみに意識を集中させている。
いや、歌に呑まれてしまって、それ以外のことが考えられない。
一瞬にも永遠にも思えた時間は、唐突に終わった。
辺りには今まで聞こえなかった虫たちの鳴き声や、遠くで雄叫びを上げる魔物の声もする。
歌声の響く間彼らが沈黙していたのか、それとも自分たちが歌声以外の音を排除していたのか分からなかった。
惚けたように夜空を見つめているカミューとマイクロトフは、いまだに何も考えることが出来なかった。
(声は空から降ってくるように聞こえた)
(それはまるで、天上の歌声が漏れ聞こえてきているようだった)
「リオウが、歌っていたんだ」
カミューとマイクロトフが無意識に吐き出していたであろう疑問に、フリックは律儀に答えた。
静かな声だった。
それを聞いて、2人はいくらか己を取り戻すことが出来た。
(心はまだ、歌声に囚われたままだけど)
「リオウ様が!?」
マイクロトフは驚いた様子で聞き返した。
カミューも声には出さずとも驚いているようだ。
いつも冷静で柔和な顔を目を丸くして驚きの色に染めている。
「いつからか……いや、気づかなかっただけではじめからかもしれないな。この軍に死者が出た時に、こうやって夜に歌声が響くようになった」
「はじめは死者の亡霊か! って大騒ぎになりそうだったんだがな」
語り出したフリックに合いの手を入れたビクトールは、その時のことを思い出した面白そうな顔をしている。
「ふふ。結構な大事件だったんだよ?」
歌声のせいで惚けて警備が疎かになったり、次の日も歌声が忘れられなくて訓練に影響が出たり、はては幽霊探しの一団が生まれたり。
はじめは空耳だと、気のせいだと幹部の者は思っていたが、歌声を聞く者の数が多くなり出すと放置していられなかった。
それに――
自分たちもその歌声を聞いてしまった。
「夜中に外にいるなんて滅多になかったからなぁ〜」
「幹部の連中は忙しくて部屋に籠もることも多かったしな」
「夜は湿った風が入るから、窓を閉めていることも多かったしねぇ」
ま、俺たちは毎晩酒場で騒いでいたから聞こえなかったんだけどな!
そう言って笑う3人も初めて歌声を聞いた時は、今目の前にいる騎士2人と同じように呆然として固まってしまった。
一緒に聞いていた古参の者の中には、悲しみが伝わってきて涙する者もいた。
中でもナナミの反応が顕著だった。
ぼろぼろと止めどなく涙を流し、まるでそのまま身体の水分を全て吐き出してしまうかのような号泣だった。
今までに見たことのないナナミの様子に皆驚いた。
何があっても『リオウは私が守るんだから!』『大丈夫、大丈夫よ』そう言って笑っていた少女とは思えなかった。
心配そうに声をかける周りの者に、ナナミは掠れた声を出して言った――
「『これ、リオウの歌だ』ってな」
「そん時ぁぶったまげたぜ〜」
「ホント。シュウの旦那の驚いた顔なんて滅多に見れないからねぇ」
「では……本当、に……?」
「ああ。正真正銘、リオウが歌っている鎮魂歌さ」
『鎮魂歌』
やはりあれは鎮魂歌だったのか。
2人の脳裏にいまだ出会ったばかりと言える軍主の顔が浮かんだ。
まだ数回しか会ったことはなく、会話したことはもっと少ない。
(マイクロトフは短い旅を共にしたが、会話を弾ませるような雰囲気ではなかった)
(ミューズ市の様子を見に行った時だったし、むしろドン暗だ)
小さな軍主はあまり喋ることはなく、表情が変わったところを見たことは……ないかもしれない。
武勇に優れ、英雄の息子であり、希少な紋章を宿していることは知っていた。
だが……あの無表情な様子にはいまだ慣れなかった。
今日の報告を彼は軍師殿の隣で聞いていた。
(いや、軍師殿が隣で聞いていたにすぎないのだが)
戦果を挙げたと言った時も、死者が出たと言った時も、彼の表情に変化はなかった。
それは上に立つ者として、軍主として当たり前のことである。
だが、この城を包む雰囲気があまりにも穏やかで暖かいものなので、軍主の反応に若干拍子抜けしたのは事実だ。
軍の雰囲気は、軍主の影響を受ける。
暖かな軍に、冷たい軍主。
カミューは、まるで裏切られたような気分になってしまった。
マイクロトフは一度忠誠を誓った相手に疑問を持つことはないが、少しだけ悲しい気持ちになった。
軍主が――この少年が、死者が出て悲しんでいないのだと、思ってしまっていた。
「こうやって、いつもリオウは歌う」
「表情も言葉も滅多に出さないけどね」
「ありゃー相当ため込んでるんじゃないか?」
「……ため込ませているのは、俺たちだがな」
しんみりと笑うビクトール、フリック、レオナは何時にない様子で悲しそうにしている。
そしてカミューもマイクロトフも唐突に気づいた。
夜空に響くたくさんの涙
(これはただの歌声ではなく泣けない軍主の精一杯の哀悼と慟哭)
彼は悲しんでいないわけではない、それを表に出せないだけだ。
どうして悲しんでいないなどと思えたのか。
彼はまだあんなにも幼いのに(自分たちよりも、ずっと)
彼を悲しませないためにも、出来るだけ死者を出さずに戦いを終えたい。
決意を秘めた表情をする男たちが思うことはおそらく一緒だ。
この決意を新たにするために皆この歌を聴くのだから。
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