※グロイ表現あります。ご注意!





『私』は、ふつうの女の子だった。
父親が社長やヤクザやホストということもなく、中流企業のそれなりの部署のサラリーマンで、母親が女優や怪盗や魔女ということもなく、昼間はパートに出ているような兼業主婦。
家庭は豊かではないが、それなりに生活できるくらいの収入があり、贅沢も節約もたまにしている一般家庭の子どもだった。
学校で生徒会長だとか不良の番長だとか成績一番というワケではなく、そこそこ忙しい委員会でそこそこ優等生でそこそこの成績を残していた。
友人関係にさほど問題もなく、教師とは当たり障りのないつき合いをし、彼氏は居なかったが別に男嫌いだったわけでもない。
特に特筆すべきことはない、本当にふつうの女の子。
いや、一つだけあった特技と言えば、実は興味のあることには異常な記憶力を持っていることくらいか?
それで結構雑学を知っているかもしれない。
(雑学王なんて名誉なのか不名誉なのか分からないあだ名を付けられないように、そんなこと隠していたけれど)
でも、それでもそれくらいの人は他にもたくさんいるだろう。
だって子どもだって興味があれば、ポケ○ンを全て覚えたりする。
(ぶっちゃけ信じられない今なら)

なぜいきなりそんなふつうに生きていた『私』の自己紹介をするかと言えば。
この少年−リオウ−として新たな生を受けているのが、『私』だからである。

なにこれ、信じられない。

これが僕が一番最初にこぼした言葉だ。
まったくその通りだよね。
意外と冷静なことも、特技に入れちゃおうかな?





さて、ふつうふつうと本当に『ふつう』であることばかりを主張していた私は、この世界に来てすぐにふつうじゃなくなってしまった。

だって、目が覚めたら目の前が血の海って結構ひどくない?

こんなもん見て、ふつうの神経じゃ耐えられない。
鬱蒼とした森の中、辺りは暗闇に包まれ、月の光が紅い海を照らしている。
雲に遮られ、また現れ……ゆらゆらと揺れる月の光が、その液体をまるで恐ろしいバケモノのように映し出している。
ぽちゃん、とたまに鳴る水滴は、バケモノの吐息だろうか。
そしてそのバケモノの身体には、小さな固まりや大きな固まりが転々と飛び散っている。
バケモノの色と同じく、綺麗な緋色とどす黒い紅が、まるで体毛のように美しい。
原型を止めていなかったのは幸いか、それとももう感覚自体が麻痺しているのか、僕はそれを見てもなんの感情も浮かんでこなかった。

ああ、これは……


『おぬし、なにをしておる』


突然宵闇の中で響いた声に、心臓が大きく跳ねた。
だけど、一瞬後には元通りになり、冷静な思考も戻ってくる。
心臓もとくん、とくん、と正常に動いている。

本当に一体自分はどうしてしまったのだろう?

今までなら恐ろしいと泣き叫んでいるような光景の中で、驚き悲鳴を上げるような事が起こったのに。
こうして一瞬で衝撃は去ってしまった。
声のことも忘れ、ぼんやりと月を見上げた。


『これから、どうする』


また声が響いた。
ゆっくりと声の方向を見ると、生い茂る木々のせいで見えないが、たしかな存在感を感じた。

これから?これからってなに

声の主の問う意味が分からない。
この世界はいきなり開け、よく分からないままに目の前に存在する。
自分が本当に生きているのか、死んでいるのか、存在しているのか、ただの夢なのか、全然分からない。
むしろこの世界が本当に在るのか、ただの幻なのか、それすらも分からない。


『ともに、くるか』


声はまた問いかける。
私は何も考えぬままに、こくりと頷いた。
それは頷くと言うより、首の力をぱっと抜いたので、まるで俯いてしまったようにも見える。
それでも、声の主には伝わった。


『おいで、ともに、いこう』


いこう、いこう、ともに、いっしょに

この時になって初めて、頬を生ぬるい感触が伝わった。
でも私にはそれが乾ききっていなかった血なのか、目から出た涙なのか分からなかった。
それでも私はその場に立ち上がり、ゆっくりと茂みに向かった。

もしかしたら、何かの獣が待ちかまえているかも知れない
魔物が側で息を潜めているかも知れない

そんなことには全然気づかなかった。
だってさっきから聞こえてくる声は、まるで私を抱きしめるように包み込むように暖かかった。
耳から聞こえてくるのではなく、脳に直接響く不思議な声。


『なはあるのか』


茂みには、美しい獣が横たわっていた。
『私』の時にも見たことがない、美しい獣。
瞳には知性の光が輝き、慈愛の火が灯っている。
僕は質問に答えずに、黙ったまま獣…いや、そんな呼び方は相応しくないむしろ…聖獣を見つめた。

だって、もう、『私』ではなくなっている

それは薄々と感じていた。

だったら今の自分は、一体何なのだろう?



『そうか、では、りりとなのりなさい』


『リリ』それが新しい自分の名前。
それが『私』でも私でもなくなって、僕になった瞬間だった。

今思うと、リリだなんて随分可愛い名前だよね。




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