「うぁ〜いい湯だなぁ〜〜」
恵菜はうっとりとした表情で親父クサイ台詞を吐息と共に溢した。
湯船のヘリに交差させて腕を預け、頭を乗せて心地よさそに目を細めている。
軍主時代から風呂好きだった恵菜は、跡部邸に温泉と呼べるほど大きな風呂を作らせていた。
恵菜はあまり贅沢を好まず、良家の令嬢としては最低限の願いしか口にしない。
その恵菜が初めて言った我が儘が風呂のことだった。
それを聞いたアノ2人がその願いに全力で答えた結果、こうして豪勢な温泉もどきが出来た訳だ。
あまり華美にしすぎると恵菜が困るので、ギリギリのラインを保って設計された自信作らしい。
泳げそうなほど広い湯船で、恵菜は体重を腕に預けてぷかぷかと身を浮かせてゆったりしていた。
「ああ〜 生き返る〜〜」
しかし発言は相変わらず親父臭かった。
そんな至福の時間を過ごす恵菜の感覚に、ふと何かが引っかかった。
「んん〜〜?」
そっと身体を起こして、風呂場の出入り口に目を向ける。
しばらくじーっと見つめていると、扉が開いた。
「ミオ、気持ちいい?」
ニコリと笑いながら入ってきたのは、身体にタオルを巻き付けた妖華だった。
「ティル〜ごめんね、先に入ってるよ〜」
「いいよ。ミオの風呂好きは今さらだし」
ぼや〜っとしながら謝る恵菜に、妖華は苦笑と共に答えを返した。
そして、妖葉はスタスタ歩き恵菜の浸かる湯船に近いシャワーの前に来た。
恥ずかしがる素振りもなくタオルをとると、シャワーを全身に浴びた。
それを恵菜もぼんやりと眺めている。
今さら互いの身体に羞恥など感じるはずもなく、いつもの光景だ。
「今日はね、ローズヒップオイルを入れてみたんだ〜」
「へぇ。ローズヒップって紅茶だけじゃないんだね」
「美肌にも効果があるんだって〜シロが言ってた〜」
恵菜は熱に浮かされたうっとりとした声のまま答えた。
湯の温かさと、ほんのり漂う薔薇の香りに酔っているのかもしれない。
そう思いつつも気持ちが良いのでそのままその感覚に浸っている。
しばらくすると、妖華も湯船に身を沈めた。
恵菜の近くに腰掛け、じっとこちらを見ているようだ。
ぼんやりしている恵菜でも、その注視の気配を感じた。
「どうしたの?」
恵菜はうとうとしている目に力を入れ、妖華を見やった。
白い湯気に掠れて見える妖華は、すでにその身をほんのりと赤く染めていた。
そんなに湯船が熱かっただろうか、と恵菜はぼーっと考えていた。
「ミオ……」
広い風呂場に、妖華の透き通った声が響く。
その声は低く抑えようとして失敗した掠れ気味のものだった。
「ティル?」
「ミオ……ミオ……」
「ん? なに?」
ゆっくりと己の名を繰り返す妖華を、恵菜は不思議そうに見ている。
妖華がそっと湯船か両手を出し、ふわりと恵菜の肩に置いた。
ちゃぷん
「……?」
しっとりとした妖華の手が、恵菜の肩に優しく触れている。
湯船の熱に慣れていても、触れられることでさらに増した熱が肩から伝わってくる。
妖華は一体どうしたのか疑問に思いつつも、恵菜はただ見つめることを止めない。
「ミオ……」
妖華は変わらず恵菜の名を呼び続ける。
いや、今ではその声の甘ったるさが増し、浴場の中に妖しく響いている。
妖華は頬を真っ赤に染め、瞳に情欲をちらつかせながら恵菜を凝視していた。
そして、恵菜の肩に置いていた手をするりと滑らせていく。
まるで愛撫するかのような手の動きに、恵菜はますます不思議そうに妖華を見つめた。
「ティル……?」
「――っ!!!」
妖華はいきなりガバリと恵菜に抱きついて絶叫した。
「君のことを考えるとエロい妄想が止まらないんだーー!!」
はぁぁぁああああああ!?
さすがの恵菜も悲鳴混じりの大声を上げようとしたがそれは敵わなかった。
妖華に身体をがっちりホールドされたまま、押し倒されたからだ。
思い出して欲しい、今2人がどこにいるのかを。
バッシャーン
盛大な水しぶきを上げて、2人の身体は朱色の湯船に沈んでいった。
恵菜の絶叫は全て水に吸い込まれて消えた。
ガシィ!
バシャン
「ぅ、ごほっごほっ!! ぅぐ、かはっ、ごほっごほっ――っくしゅん!! ごほっ」
恵菜は苦しげに咳を繰り返し、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしていた。
口からは水を吐き出そうと絶えず咳が出てくる。
「ぅ、っく……はぁ、はぁはぁはぁ」
咳にも一段落ついた恵菜は、そのまま排水溝の列を見ながらしばしぼんやりとしていた。
ぽたぽたと顔中から水が垂れ、顔に張り付いた髪の感触が気持ち悪い。
しかも肺がギリギリと痛いし、咳を繰り返した喉にも鋭い痛みを感じていた。
さらにお腹はムカムカとして気持ち悪く、口内は湯船から漂う香りと似たような味がする気がする。
徐々に荒い息も落ち着き、己を取り戻した恵菜は呆然と呟いた。
「お、おぼれてた……?」
がらがらに掠れた声が、風呂場に木霊した。
その音を聞いてさらに理性を取り戻した恵菜はズーンと落ち込んだ。
「いや、溺れるって……風呂場で溺れるなんて……」
そのまままた湯船に沈んでいきそうな勢いで、恵菜はどんよりしていた。
湯船で溺れたというあんまりな事実のせいで、衝撃の一言は忘れ去ってしまったらしいことは幸運なのか。
とにかく風呂場は赤黒い雰囲気に満たされていったのだった。
(ローズヒップ色+恵菜の落ち込みオーラ=赤黒 ←単純)
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