妖華は一人で自室のベランダに立ちつくし、月を見上げていた。
暇な時間さえあれば恵菜の傍にいる彼女にとっては珍しい光景だろう。
さらに珍しいことに、物憂げな表情をしている。
恵菜に心配をかけたくない妖華は、一人月光の下で物思いに耽っていたのだった。
「ああ、どうしてミオはあんなに可愛いんだろう……」
悩みは大したこと無いみたいだ。
しかし本人は大真面目に思案していた。
ベランダに設置されている椅子に腰掛け、テーブルにゆったりと肘をつき、眼下に広がる美しいの庭園を見つめている。
ふと、何か黒い影が横切った。
「ん?」
妖華は疑問を感じて立ち上がり、ベランダの端に近寄った。
「やぁ」
「……そんなところで何やってるの」
庭園の中、ベランダのそば近くに立っていたのは孔也だった。
常と変わらぬにこやかな笑みを浮かべ、緩やかに手を振っている。
妖華が胡乱な眼差しを向けても、キラキラ音が聞こえてきそうな笑顔に変化無し。
「こんな夜更けにどうしたんだよ」
「ん、ちょっとね。そっちに行ってもいい?」
「……」
妖華は無言で身を引いた。
すると孔也はひょいっとベランダに飛び上がり、妖華の目の前に足を付いた。
この部屋は2階にあるはずなのだが、そんなの関係ないとばかりに軽快な動きだ。
「で、どうしたのさ。裏から入り込んできたんだろ?」
いくら跡部家の令嬢、恵菜の親友として知られているとはいえ、こんな夜更けに訪れて邸内に入れてもらえるとは思えない。
恵菜の許しがあるならともかく、そんな話は恵菜から聞いていないので無断だろうと辺りをつけた。
しかもセキュリティの完備した跡部邸に侵入するなんて、正気とは思えない。
妖華も出来ないとは言わないが、そんな面倒で神経使ってしかも見つかれば即死刑になりそうなこと頼まれてもしたくない。
それなのに、こうして孔也がこの場にいるのはなぜなのか?
妖華は不審を隠しもせずに孔也を見つめている。
しかし、やはり孔也は笑顔のままで、全く別の話をし出す始末だ。
「ねぇ、俺も年頃になったと思わない? 子どもの成長ってのは随分早いよね」
「……はぁ?」
「この身体ももう13だよ? ふふ、ははは」
いきなり笑い出した孔也に、妖華はそっと一歩身を引いた。
コイツ、この寒さで頭おかしくなったんじゃねーか?
と、浮かべる表情が言っている。
じりじりと後退する妖華に、しかし孔也はまたしても唐突にガシッと肩を掴んだ。
妖華は柄にもなくビクゥッ!!とした。
「実は、きたんだ……」
にこにこにこにこにこにこにこにこ
いつも以上に笑顔の孔也から、聞こえるはずもない効果音が聞こえてくる。
妖華はもう悟っていた。
今日の孔也はいつもと違う……これは異常事態だ!!
しかし時すでに遅く、妖華はガッシリと肩を掴まれ逃亡を選択することは不可能だ。
後に残された道はただ一つ、立ち向かうことだけ。
「な、なにがきたの……」
妖華は冷や汗を流しながら、目の前の満面笑顔の孔也に問いかけた。
いつもより声に力が無く弱々しいことには気づかないフリをしてあげてほしい。
「ねぇ、ティル。お願いがあるんだ」
またしても妖華の言葉を完全スルーして孔也は言った。
満面笑顔のはずなのに、さらに笑みを深めて。
(効果音にするなら、その笑みはまさにキラキラからギラギラへの変化を遂げた)
ゆっくりと笑み崩れた口を開き、運命の言葉を口にする。
「突っ込ませて下さい!!」
「っふ……っざけんっっっなぁぁああああああぁぁぁああああ!!!!!」
ドグォシャァァアアア
広大な跡部邸の隅々まで響き渡るような怒声と共に、鈍く重たい音が響いた。
妖華は突然走った激痛に、ガバッと目を開いた。
「…………? あ、あれ……?」
キョロキョロと辺りを見渡すが、そこには闇に包まれたベランダがあるだけだ。
生い茂る木々が風に揺られ、涼しげ(むしろ寒々しい)音を奏でている。
妖華はしばし呆然とその場に立ちつくした。
しかし固く握りしめられた右手から、たらりと何かがたれる感覚がして無造作に下を見た。
「げ!」
そこには無惨にも真っ二つにされたテーブルの残骸が転がっていた。
右腕には細かい傷が出来、見まごうことなくだらだらと血が垂れている。
「やば……テーブルどうしよう……!!」
右腕から流れる血が足下に水たまりを作っていようが、妖華にとっての心配事はそれだった。
まさか下宿している身で家具をぶっ壊すなんて……と真っ青になっている。
傷を付けるとか生やさしいものではなく、真っ二つなのだ。
もうどうしようもない。
妖華は薄れゆく意識の中、この元凶とも言える孔也に罵声を浴びせた。
(お前が夢で変なことを言いやがったせいでェェエエエエエ!!!怒)
そしてうっすら聞こえてくる恵菜至上主義のメイドの声を聞きながら、そのまま意識を失った。
彼女ならば恵菜の親友の自分のことを手厚く介抱してくれると知っているからだ。
倒れた原因は、呆然としすぎて放置していた右腕の出血のせいだった。
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