「……あの、なんで……」
「言うな、こっち向くぞ」
「じゃあやっぱり……」
「あれは、また何かあったみないやな」
「え、何かって何だよ?」
ある一点をチラチラ見ながらこそこそと話し合っているのは、氷帝レギュラーメンバーの数名だ。
頭上に広がる澄み渡る青空とは真逆に、その場に漂う空気は重い。
いや、たった一人の発する暗い雰囲気がドロドロと辺りに漂っているようだ。
弁当やパンを片手に集まる彼らの纏う空気としてはかなりおかしなものである。
(この雰囲気のせいで昼食の美味しさが半減しそうなくらいだ)
「くそくそ、滝が珍しく『今日は別の友だちと食べるから』って言ってたのはこのせいだったのか!!」
「なんやて、滝がそんなこと言っとんたんか」
「おい、なんでそれを早く言わなかったんだよ!」
「な、なんだよ。俺は伝言頼まれただけだぞ!?」
「せ、先輩たち、声が……」
「おいお前ら、少しは黙ってメシ食えねぇのか、アーン?」
暗黒風の発生源、超絶機嫌の悪い顔をした跡部がひっくーい声で言った。
アーン?がアァァアアアアン!?(どす黒い声)と聞こえた気がした面々は、引きつった顔でそっと口を閉ざした。
今の跡部の心のメーターは振り切ってマイナスに爆走するほど宜しくないらしい。
口を閉ざした彼らは、チラチラと視線を向けあって互いに理由を聞きあっている。
「(先輩たち、何かご存じないんですか?)」
「(そうは言っても、俺たち跡部とはクラス違うからな……)」
「(でもよ、跡部がここまで自分を出すのって)」
「(ああ、珍しいことやんな……でも)」
跡部は氷帝を支配するほどの男だ。
そんな男がただの不機嫌を表に出すことは少ない。
それに(今みたいに)空気を変えるほど感情をむき出しにしたことは無かったと言ってもいい。
(場を支配するための気迫のオーラを故意に垂れ流しにすることはいつものことだが)
先ほど以上にこそこそと理由を探るメンバーの中で、一人がニヤリと笑い眼鏡をキラーン☆と輝かせながら言った。
「(でも、最近では珍しいことやないやろ?)」
そう、最近の跡部にはこんなことが多かったのだ、ある一点において。
(すでに皆様はお気づきだろう)
「(あ、もしかして……)」
「(また妹絡みか?)」
「(たぶんな)」
「(え、でもこの前仲直りしてたじゃん)」
向日が怪訝そうに言った。
目の前で騒動を起こされ、どさくさに紛れていつの間にか仲直りをしていたのだ。
そんな衝撃的な一日のこと、忘れるはずがない。
(しかもつい数日前のことだし)
「(また何かあったんとちゃうん?)」
「(何かって、何だよ)」
「(何だよー!?)」
「(そこまでは分からへんよ)」
忍足は呆れたように言った。
そんな家庭内のことまで知ってたら逆に恐ろしい。
とにかく表面的な理由は分かったが、まったく解決に至らないことに彼らは落胆した。
「(あーもうこの空気サイアクだぜ、クソクソ!)」
「(ん? そういや今日はもう一人おらへんな)」
「(あ、なんでも日吉は別の人と食べるそうです)」
「え、日吉って友だちいたのか!?」
「(お、おい、だから声が……!!)」
「おい……お前は俺様に二度同じことを言わせる気か……?」
ズドーンと鳴り出しそうな背景を背に、跡部は呟いた。
偉そうに声を張るのではなく、呟いていることに恐怖を感じさせる。
「あ、え……わ、悪かった。気をつけ、……?」
驚きで立ち上がっていた向日は、しどろもどろに跡部に謝罪した。
それを眺める他のメンバーは「やれやれ」といった表情か。
しかし向日は言葉の途中で何かに気を取られたように、ある一点を注視した。
「あ、ぁぁああああ!!! い、いた!!」
「ばっ! だからあんまでけぇ声だすなって……」
「が、がっくん? いい加減にせんと」
跡部が……!!
焦ったように向日を止めようとする宍戸と忍足のことをさらりとかわし、向日はフェンスに近寄った。
ガシャンと音を立ててしがみつき外をじっと見つめた後、面白そうな笑みを浮かべて振り返った。
「見てみろよ! 日吉が友だちと弁当食ってるぜ!!」
向日の笑顔は「マジうけるー!」といった破顔一笑なのだが、それを向けられた他の面々は真っ青だ。
異常なほど機嫌が悪く、騒音を立てることを再三注意してきた跡部がいるのだ。
これから一体どんなコトが起こるか想像もつかない。
チラチラと跡部の様子を窺っている鳳は、絶望に染まった顔をしていた。
(どんな顔をしていたんだ、跡部!)
そして跡部がそっと口を開き、地獄行きの切符を向日に叩きつける直前。
さらに続けて向日が言った。
「しかも……ぉお! 一緒にいるのって跡部の妹じゃん!」
「……なんだと……?」
ガバッと立ち上がった跡部は、一瞬でフェンスに近寄った。
(あの跡部が音を立てて立ち上がるなど珍しい)
「おい、どこだ」
「あ、ああ。あそこだよ」
身を乗り出すようにして外を見ている跡部が、視線も向けずに向日に問いかける。
その声はずっしりと重く、いつも以上に低く恐ろしい。
向日がビクッ!と震えながらも指さした方向を、跡部は凝視した。
「…………」
「ちょ、ちょいちょいちょいちょっと待てぇ跡部!!」
「おわぁぁああ!! あ、危ねーだろ、何してんだぁぁ!?」
「あ! え!? ちょ、え、ぇぇええええ!?」
「あ、跡部!? お、おい樺地、止めろ!」
「う、ウウウウス!!」
いきなり無言でフェンスに足をかけた跡部に、焦って忍足が飛びついた。
側にいた向日は振り上げられた跡部の足にぶつかり、うっかり落ちそうになったところを鳳に引き上げられた。
咄嗟に向日を引き上げた鳳は、隣でギリギリと力の掛け合いをしている跡部と忍足を見て目を丸めている。
一瞬固まってしまった宍戸は、すぐに己を取り戻すといまだ固まって呆然としている樺地に救援要請を出す。
カチンコチンになっていた樺地も要請を受け出動し、ギリギリしている2人を纏めてフェンスの側から引きはがした。
団子状態になっていたメンバーたちは散開し、それぞれ息を整えた。
微妙にフェンスに近寄りそうにしている跡部の前には、忍足が陣取って睨みをきかせている。
(なんだこの展開!?)
「っく……何しやがんだ忍足ィィイイイ!!」
「いやいやいや、お前が何しとるんや跡部ェェエエエ!!」
怒声を上げる跡部に、負けじと忍足も返事を返す。
互いに必死なのがなぜか涙を誘う。
(しかも邪魔したのは忍足になっているらしい。直接引きはがしたのは樺地だが)
「お、おい跡部、いきなりどうしたんだ?」
「そ、そうだ……飛び降りたくなるほど何か悩みでもあんのかよ」
「え、と、跡部先輩。飛び降りたりしたら、妹さんも悲しみますよ」
「ウ、ウス」
あまりの跡部の変貌に、その場のみなが心配そうに跡部に声をかけた。
(そりゃー目の前でいきなり飛び降りされそうになればな)
そんな心配そうな視線を受けて、跡部は不快そうな顔をして言った。
「ック……ただ下に降りようとしてただけだ!」
「こっから降りたらぺちゃんこになってしまうだけやろ!!」
そんなんただの飛び降り自殺やないかー!!
忍足が力の限り吠えた。
もうアカン、こいつ末期や救いようがない!!とその表情は語っている。
だって跡部ってば真剣な表情でさっきの言葉を言ってましたから。
しかしまだまだ真剣な跡部は、偉そうな表情で言いつのる。
「俺様に不可能はないんだよ!」
こんな高さなんかどおってことねぇ!!
「どうもこうも、これは人間には越えられへん壁なんや!!」
やからいくらお前でも潰れるに決まっとるやろ!?
「……あー、なんだ。とりあえず止められてよかったな」
「……そうだな。あーさっきはマジ焦ったぜ、クソクソ!」
「……樺地、お疲れ様」
「……うす」
真面目なのかアホなのか分からない言い合いをはじめた部のトップ2に、周りは疲れ切った表情をした。
(ナンバー2が忍足とは決められていないが、いちおう氷帝の天才と言われているのだ。影のナンバー2としては有名だ)
彼らがぼんやりと2人の言い争いを眺めていると、小さな足音と話し声が聞こえてきた。
(ちなみに今は人体の限界について熱い討論を繰り広げている)
「−−、−−−−?」
「−−。−−−、−−−−」
「あ、誰か来ましたよ」
「ああ? ここは貸し切りのはずだろ?」
「あ! この声は……!!」
今まで一人平和に寝こけていた金色が突然ガバリと身を起こした。
(今までの騒動をマル無視していたのだから、さすが強者・眠りの王者である)
その声と同時に、古びたドアの方からギィィイイ〜と独特の音が聞こえてくる。
「でも、私も来て大丈夫なんですか?」
「ああ、構わないだろ」
「でも俺は……」
ドアが開くと同時に聞こえてきた会話に、その場の者がみな振り返った。
そこに立っていたのは、先ほど中庭で仲が良さそうに弁当を食べていた3人だ。
「あ」「ああ!」「あ!」
「あー! 恵菜ちゃーん!!」
俊敏に起きあがった芥川が、即座にドアに向かって突進していった。
そのまま3人の内の一人−恵菜−に抱きつくかに思えたが……
ゴン!
「っつ……いってー! 何すんだよピヨシー!!」
「そんな全力で突進したら危ないでしょう。それに俺は日吉です」
日吉の加減のない殴打のせいで、芥川はその場に沈没した。
ゴロゴロと転がって痛みを苦そうと必死だ。
それを見て恵菜は心配そうに芥川のそばに膝をついた。
「じろちゃん、大丈夫? 若さん、心配してくれるのは嬉しいけど、これはやりすぎだよ」
「……フン」
「はは、日吉も素直じゃないね」
「恵菜……」
「あ、お兄ちゃん」
和やかなのはこの4人(恵菜、孔也、日吉、芥川)だけで、他の面々はまたしてもひっそりと流れていた暗い気配に身を潜めていた。
(おそらく発生源はさっきと同じ人間だ)
その発生源たる跡部が溢した声に、呼ばれた本人はにこやかな笑顔で応えた。
「恵菜、お前日吉と飯食ってたな」
「あ、うん」
「……」
ギロリと殺人光線を発する跡部に、日吉も負けじと見つめ返した。
(しかし冷や汗混じりだが)
その様子を見て恵菜はそっと跡部の腕に触れながら言った。
「あのね、私お兄ちゃんと食べるのも嫌じゃないよ。でも孔也とも一緒に食べたくて……」
「……」
今度は孔也の方をじっと見つめた出した跡部に、孔也は相変わらず微笑のまま視線を返している。
(その場にいた誰もが「こいつすげぇ……!」と思ったとか)
隣に立つ日吉もその注視の威圧感を感じているというのに、注視されている孔也は威圧感を感じていないかのように自然体だ。
日吉が今まで『恵菜の幼馴染み?』としか認識していなかった孔也にかなりの興味を抱いた瞬間でもある。
「じゃあ、お前とアイツ、明日からココで飯を食え」
クイッと顎を動かしこの場を指し示す跡部に、他のレギュラーメンバーは驚愕の眼差しを向けた。
ココとはすなわち屋上のことだ。
しかも『氷帝テニス部レギュラー限定』の場所としてすでに知れ渡っており、何人たりとも許可無く侵入することは許されない。
ファンの視線に耐えきれなくなったレギュラーメンバーがいつの間にか集まり、いつの間にかそう呼ばれるようになった場所だ。
これまでテニス部の人間以外の出入りが許されたことはなく、許された人間は一度レギュラーになったことのある者に限られていた。
(もちろん許可は全員一致で出されるものだ)
もちろんそのことを知っている恵菜は一瞬驚いた後に、怪訝そうな表情を浮かべた。
(入学してすぐ重要事項としてそれとなく(でも熱く)伝えられたのだ)
「え、でも……」
「おい、異存はねぇな?」
跡部がサッとその場の人間に視線を巡らせた。
「Yesと言えそれ以外の答えは必要ねぇ」という気持ちのこもった視線に、みながコクコクと頷く。
跡部の熱い視線(誤)に、真っ青になってる人間すらいるが。
「どうだ」
「……」
キラリと目を輝かせて問いかける跡部に、恵菜は苦笑混じりで思案した。
「どうだ」と言われても、明らかに跡部が脅したようにしか見えない。
自分がこの人たちの昼食の場に混じって良いのか考えつつ、そっと孔也を窺ってみた。
笑顔だ。
おそらく「俺はミオの判断に任せるよ」といったところだろう。
「なぁ、恵菜ちゃんは俺たちと飯食うんが嫌なんか?」
「いえ、そんなことありません」
「だったら明日から昼はここに来い」
恵菜が悩むに連れて徐々〜にまた跡部の機嫌が悪くなっているのを感じた忍足が声をかけた。
しかも否定し辛い問いかけなのが確信犯と言うべきか。
忍足の援護を受け、跡部もたたみかけるように恵菜に声をかける。
「……うん、分かった。孔也もそれでいい?」
「俺はどこでもいいよ」
ミオと一緒なら
笑顔と共に副音声を伝えた孔也に、跡部が探るような眼差しを向ける。
それでも孔也は笑みを浮かべ続け、ひそかにテニス部レギュラー陣のほのかな尊敬を勝ち得ている。
(もちろん日頃苦労を重ねている者を筆頭に)
「じゃあ、明日からはお昼も一緒だね、お兄ちゃん」
「そうだな」
跡部は後光が差しそうなほど輝かしい笑みを浮かべた。
数分前に暑苦しい表情で人体の限界を熱弁し、数十分前には漆黒の闇を背負っていたとは思えないほど清々しい。
それを見て一同は「やべーもう疲れた午後の授業タリー」と思った。
おそらく昼休みに消費したエネルギーが多すぎた。
面白くなってきた展開にニヤリと笑う一名を除いて、彼らはこれからどうなるのか検討もつかなかった。
明日より、跡部の妹とその友だち、昼食に参戦。
おまけ↓
○今朝の会話○
「おい恵菜」
「どうしたの、お兄ちゃん」
登校前のひとときを過ごす恵菜の前に、跡部が颯爽と現れた。
いつもと変わらぬ笑みを浮かべている跡部だが、実はそばに控える跡部付きの執事は知っていた。
今、跡部は微妙に緊張しているということを。
「なぁ、お前いつも昼はどうしてるんだ」
「ん? 料理長さんが作ったお弁当を食べてるよ」
「いや、そうじゃなくてだな……」
言いにくそうに口ごもる跡部を前に、恵菜は変わらず笑顔で続きを待っている。
ああ、こうして仲の良いご兄妹に戻られて本当に良かった……
(↑執事、心の声)
「昼は一人で食べているのか?」
「ううん。友だちと食べてるよ」
「……そうか」
「どうしたの?」
「いや……そいつは……大事なヤツか」
跡部は迷ったあげく、少し方向性の逸れた質問をした。
いつもなら「そんなヤツ放っておいて俺様と飯を食え!」くらい言うのだが、さすがに(仲直りしたばかりの)妹にそれを言うのは憚られた。
(しかもこれまでコツコツと愛情を溜めてきた最愛の妹だ)
真剣な表情で聞いてきた跡部に、恵菜は不思議そうな表情をしつつ答えた。
この質問に対しての答えはたった一つで、十分だ。
「うん。凄く大切な人」
「……そうか」
なんだか聞いた以上の答えが返ってきて、跡部はさらに続きが言えなくなった。
それでもしっかり相づちを打ったのは愛故か。
後ろで見ていた執事も涙ぐましい跡部の努力(実っていない)を微笑ましそうに見ている。
「一体どうしたの?」
「いや……時間をとって悪かったな」
「うん? 行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
こうして跡部の小さな努力は無惨にも朝靄の中に消えた。
失敗の少ない(というか限りなく無い)跡部にとって、対妹戦はどんな難解な問題よりも難しい戦いであった。
今のところ連敗記録更新中である。
ちなみに昼食時になってそのことを思いだし、レギュラー陣を大いに巻き込んだ騒動を起こすことは、みな様の知る所である。
■
→